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私とは一体なんだろうか。私は病気だ。何の病気かと言われれば困るが。毎日毎日苦しみが私を襲う。物理的ではない。精神的にだ。私の生まれは裕福ではなかった。いや、裕福ではないというのは語弊があるかもしれない。私は遊郭の生まれだ。とある遊女が許可なく産んだ子供だった。それでも生まれて幾年かは幸せとまではいかなくてもそれなりの暮らしはできた。だが、幾つだっただろうか私は幼い時とある病にかかった。それは奇妙な病だった。私は意識なくして夜間出歩くようになった。どこをどう歩いたのかは一切覚えてない。だが、朝目が覚めると自分の足が汚れていたのは気になった。そのうち、私が住んでいた遊郭に奇妙な噂が立ち始めた。幽霊が出るというのだ。最初、それが誰のことを指しているのかわからなかった。だが、時がたつにつれ、私のことを言っているのだと気づいた。私は自分で思っていたよりも遠くへ出歩いていたのだ。その事に気づいたのは客がその幽霊の噂話をしていたからだ。しかし、それが私とは気がついていないようだった。その時の私は花魁である母のもとについている禿だった。そう。私の母は、花魁という遊女の中での高い地位にいたのだった。私が、生まれても虐待やらなんやらと嫌な目に合わなかったのは私が女だったからだ。私は母によく似ていた。並んでいればすぐに母子とわかるほどに。それでも母の人気が落ちなかったのは、やはり母の長年の信頼と私の存在だった。私は禿の中ではよくできたほうだった。生まれたときから遊郭にいるからというのもあるが、一番は容姿だった。母譲りの美貌は客受けが良いのだ。私は物心ついたときから母と客の情事をこっそりと見ていた。というよりは、遊郭の女将が見るようにと指示したからであったが。それでも、見ていたことには見ていたのでどうやれば良いのかは理解していた。そして、花魁になるには様々な知識や客の聴覚、視覚を楽しませる舞や音楽などの教育も必要だということも。私は寝る間も惜しんで勉強をした。人一倍努力して、作法から始まる一連の流れも完璧に覚えた。その努力も実ってか、私は13という若さで、遊女となった。勿論13ということもあって閨事はできなかったが、それでも舞や楽器の演奏で客を楽しませることはできた。私は客を大いに楽しませていた。私の評判は客から客に伝わり、それなりに偉い方々も指名するようになった。私は15になった。閨事の相手もできるようになった。私の水揚げをしてくれたのは、それなりに身分の高い方だった。知識としては色々知っていたが、実際するのは初めてだったので緊張を悟られないようにしたことを覚えている。まあ、そんな心配をしなくても、相手の方は何人も水揚げをしてくれた人だと聞いていたので、そんなに不安はなかったが。実際、相手の方は処女を抱くことを慣れているようでそんなに緊張することもなかった。というか、気持ちよくて、緊張がすぐとけたというのが、実際のところだが。私は姐さんから、初めては痛い。と聞いていたので緊張していたのだろう。でも、私は痛くなかったので、恐らく姐さんの相手が下手だけだったのだろうと思った。私が水揚げされてから、数ヶ月経ったくらいだっただろうか。私は数々の客から妾にならないかと、誘われていた。それぐらいに私の人気は途絶えなかった。けれど、私は妾になる気はなかったので、遠回しに断っていた。妾といえば、恋人以下の存在だ。少なくとも正妻に疎まれることは間違いない。そう思ったからこそ妾になろうとはしなかった。それに、理由はこれだけではなかった。私が水揚げされてすぐ、幾人かの客がいた。それは当たり前のことだが、元々姐さんの客だった者達だった。そのことで、私は姐さんたちから冷たい目で見られることが多くなっていたのだ。その中には姐さんが慕っていた者もいた。私は姐さんたちが好きだ。少なくとも嫌いだと思ったことはない。だからこそ、姐さんが悲しむようなことはしたくなかった。でも、現実はそう甘くなかった。姐さんたちは私が客の誘いを断っていたのを、もっと上の者を狙っていると思われてしまったのだ。その時から私は一人になった。味方はいなかった。いや、一人だけいた。最も年長者の姐さんで、時期にこの遊郭を受け継ぐに違いないといわれていた姐さんだけは私の味方だった。だからといって、私が平気だったかと言われれば、そうではない。姐さんたちの目は日に日に厳しくなり、一ヶ月を過ぎる頃には悪質な嫌がらせが待っていた。食事に虫らしきものが入っていたり、布団の中に針が仕込まれていたり、衣装がボロボロにされていたり、などと。勿論、この他にも色々あった。階段を降りてる最中に誰かに突き飛ばされたり、足を引っ掛けられたりして転んでは、怪我をすることが多くなっていた。それでも、打身や擦り傷など、化粧で隠せる範囲だったものはよかった。たまに、ひどい怪我などをして、休ませてもらうことが多くなった。そうなると、私の評判が落ちるのも当然で、新しい客は入らなくなった。そしてある日、納屋へ閉じ込められた日、私は自分のコントロールが出来なくなった。それは、幼い時の奇妙な病が再び発症するきっかけでもあった。私の精神は破壊した。その日から、私は笑わない花魁と呼ばれるようになった。
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