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その日、光はたまたまお使いで廓の外に出ていた。
用事を済ませ川沿いの桜を見ながら戻っていると微かに煙の臭いがしてきた。
吉原はよく火事に見舞われる。まさかと思いながら走っていくと、遠くに炎が上がっているのが見え、悲鳴や怒鳴り声が響いてきた。
恐れていた通り、廓が炎に覆われていた。
明治四四年四月、後に「吉原大火」と呼ばれる吉原全体と周囲にも被害を出した大火事であった。
二松屋は廓のほぼ中心部、唯一の出入り口である大門にさえ近づけない状況で光は呆然とするしかなかった。
猛火は燃え尽くすまで吉原を焼き尽くした。
鎮火するのを待つしかできず、火から逃れてきた人たちの顔を確認していたが、二松屋での見知った顔はなかった。
たまにほかの見世の人間や出入りの商人たちに会えば二松屋のことを聞いたが、皆頭を横に振る。
「光、もう諦めな。この有様だし二松屋は吉原のほぼ真ん中。逃げられはしなかっただろう。
お前は運がいい。」
「うそだろ……。」
そんなことは信じられない。運がいいの一言では済まされない。踏みしめていた足元がぐらりと揺れたような感覚に襲われた。
うそだ。こんなことは、うそだ。
光は野次馬をかき分け、まだ小さな炎や煙が燻る廓の中におぼつかない足取りで皆を探しに入っていった。
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