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ぶすぶすと上がる煙とむせかえるような臭い、ところどころでうごめく黒い塊は焼けただれた人なのだろうか。
足の裏は残った熱でちりちりと焼けるが、草履で踏みしめながらかまわず見世を目指して走った。
「おとうさん、おかあさん、綾紗、葉月、葛葉、薫……、白藤!」
慈しんでくれた遊廓主とおかみ、花魁や遊女、禿に至るまで全ての名前を呼びながら見世の前まで辿り着いたが、建物は大きな柱を残して焼け落ちていた。
その後、近くを彷徨ったが誰もいない。再び見世の前に戻ってきたが、もう何も考えられず両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。
なにもなくなった。
***
どのくらいそこにいただろうか、空も地面も真っ黒になっていた。
ふいに上から降ってきた声に肩がびくりと揺れた。
「お前、生きていたのか。」
ゆっくりと頭を動かして声の方を見ると、見世の常連であった水澤伯爵が目を見開いて立っていた。
「まさか生き残っていたとはな。」
呆然と伯爵の顔を見上げる光に「ふん」と納得したように言った。
「思っていた通りお前は選ばれた者かもしれんな。」
光はぼんやりと意味もわからずその言葉を聞いていたが、伯爵は続けた。
「私のところに来るがいい。仕事を与えてやろう。」
理解が追いつかず、その場から立ち上がれない光を見て、伯爵はにやりと笑った。
「どうした? 生きたくはないのか?」
光は見えない手に引き上げられるようにゆらりと立ち上がった。
すべてを失いこのまま命が儚くなってもいいと考えていたが、光は生きることを選んだ。
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