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 その洋館は昔隠居した櫻子の亡き祖母が住んでいたもので、櫻子も幼い時によく訪れていた。もっとも祖母は『やはり畳がいい』と古い武家屋敷に移ったのだったが。    芝生に面したテラス沿いにガラスがはまった大きな格子戸があり、その向こうに広い部屋がある。  カーテンは開け放たれており、そこに見えた姿に櫻子は息を呑んだ。  かつて応接間だった部屋に今は大きな執務をするような机が置いてあり、その机に向かって光はペンを走らせていた。  窓から差し込む柔らかな光りに照らされた横顔は彫刻のように無駄がなく、額にさらりと落ちる漆黒の髪が美しさを際立たせている。  伏せた目元は物憂げでありながら強さを感じ、たまにペンを持つ手を顎に当てる時は何かを考えているふうで真っ直ぐに前を向く。そうしてまた机上に視線を落とす。  あれが、木野光……。    櫻子は大きくなった心臓の鼓動を感じつつ、正面から見た顔はどんな感じなんだろう、こちらを向いてほしいと願った。でもこちらが丸見えなのは具合が悪い。  光は無心にペンを走らせ、厚い本に集中していた。  しばらく見入っていた櫻子は、長居して誰かに見つかっても面倒なので渋々戻ることにした。  ***  自室に戻って葉室から仕上げるように言い渡された刺繍も手につかない。それになぜだかそわそわと落ち着かない。   「梅、どこ?」 「はい、お呼びですか? あら、お顔が赤いですがお熱が⁉︎」 「えっ、そう? お茶を持ってきて貰いたいのだけど。」  休ませようとする梅を宥めてお茶を持って来させ、一口飲んだ。    夜になって眠ろうと目を閉じてもあの横顔が浮かんでくる。思い出すと胸の奥がきゅっと苦しくなる。  胸が苦しくなるその気持ちの名前がわからないけれど、もう一度その姿を見たいと強く思った。    それから何度か葉室や使用人たちの目を盗んで見に行ったが運悪く見ることはできなかった。
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