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時が止まり、胸の奥がぐっと掴まれたような感覚がしたが、櫻子は平静を装い問いかけた。
本当は息も心臓も止まりそうなのだが。
「光というのはあなた?」
光は立ち上がり、じっと櫻子を見て目を細め応えた。
「……華族のお姫さまが初対面の者に声をかけてはいけませんよ。」
間近で見る顔、初めて聞く声。櫻子の心がぶるっと震えた気がした。
正面から見る顔は想像していたよりももっと美しく、声は低く落ち着いている。
櫻子は震えそうな声を抑えて問いかけた。
「わたくしのことを知っているの?」
「見ればわかります。雇い主の家族構成ぐらいは存じ上げておりますし。
それよりもお戻りになられた方が良いのでは?」
「そんなこと、わたくしが自分で決めるわ。」
そっけない話し方にむっとして思わず可愛げがない返事をしてしまったが、今まで誰からもそのようなことを言われたことがないので、どう返事をすればよいかわからない。
櫻子は焦る気持ちを悟られないように、すっと空いている椅子を指差した。
「そこに座ってもいいかしら?」
光は椅子の前にある小さな机の上に置いていた本を手に取った。
「お好きに。私は戻りますので。」
すれ違う光はすらりと背が高く、白いアラン模様のセーターと黒いズボンを身にまとった光はまるで西洋の物語に出てくる王子様のようだと櫻子は思った。
その頃になると、光は高梨と家庭教師の指導のもと言葉遣いから所作まできっちりと教え込まれ、作り替えられていた。吉原にいた頃のような優しげでおとなしかった光はいない。
心を見せない、なのに心を見せたくなる佇まいになっていた。
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