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櫻子が見ていると、父は外務大臣に話しかけ光も優雅にお辞儀している。それまで伏せていた視線を上げるとそこだけ明るくなったようになり、淑女たちから小さな声が漏れ聞こえた。
二人は外務大臣と少し会話をした後、父が光になにか囁き、光は小さく頷いた。
伯爵から離れた光は藤色のドレスを着た令嬢の前に立ち、ほんの少し口角を上げて声をかけ、手を差し伸べた。令嬢はぼーっと吸い寄せられるように光に近づきその手を取り、二人は広間の真ん中に進み出た。
光が令嬢の腰に手を回し口元に微笑みを浮かべながらワルツを踊り始めると、洗練された動きと、名前の通り光りを放つような存在感であちらこちらからため息が漏れた。
櫻子はそれを見た瞬間、お腹から胸にかけて炎が燃えるように苦しくなり、同時に背筋がすうっと冷たくなる気がした。
どういうこと?
なぜその女性の手を取っているの?
なぜ踊っているの?
なぜ笑顔を向けているの?
私には向けてくれなかったのに。
何よりも光の存在が周知されたことに苛立った。
扇で隠した顔に気づいていないのか涼雅が言った。
「ああ、あれが噂の木野男爵なんだね。今日が社交界デビューか。
君のお父上の仕事の手伝いをしているんだろう?
お相手はたしか三倉大蔵大臣の姪だね。」
それに返事をせずみじろぎもしない櫻子の顔を覗くようにして「櫻子? どうした?」と声をかけられてハッとした。
そうだ、私は婚約者の涼雅さまと来ているのだったわ。
「気分がすぐれないとか? 飲み物を取ってこようか。」
「いいえなにも……。」
「ならいいけど。君は木野男爵とは会ったことあるの?」
「……いいえ、まだ。」
「へえ。それよりも僕たちも踊ろうか。櫻子、お相手をお願いできますか?」
「ええ、もちろんですわ。」
涼雅はにっこりと笑って手を出し、櫻子も微笑んで自分の手を重ね広間の中に進んだ。
背後に他の女性と踊る光を感じる。目の前に涼雅がいるのに意識は違う方へと向く。
それでもそつなく涼雅と踊り、華やかな二組は会場の注目を浴びた。
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