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あずまやの中に視線を動かした時、心臓が止まるかと思った。
光が気怠げにあずまやの椅子に座り、頬杖をついてぼんやりとしていた。
櫻子が呆然と見ていると光がふと気がついたようにこちらを見た。
光は櫻子を視界に捉えると、はっとしたように目を見開き、目を逸らした。ほとんど表情は変えなかったが心なしか少し恥ずかしそうにしている。
櫻子は思わず手に持っていた手紙を後ろに隠し、近づいた。
前回と同じように光が立ち上がったのでそのまま去られるかと心配になった。
「……ここに来てはいけないと申し上げたはずですが?」
光の方から声をかけられ、どきどきするのを抑えながら櫻子も声をかけた。
「あなたとお話ししたいの。」
こんなところを誰かに見られたら、涼雅に知られたら。そんな考えはその時はなかった。
櫻子が光の様子を伺いながら椅子に座ると、光も腰を下ろした。それがとても意外で、嬉しかった。
紫陽花やギボウシに囲まれたあずまやは隔絶された二人だけの世界のようだった。
「あの……手紙、受け取ってもらえていたのかしら。」
光は無言だったが、櫻子はそれを是と捉えた。
「わたくしが編んだドイリーを使ってくれて嬉しかったわ……。」
首を傾げた光を見て真っ赤になった櫻子が慌てて言った。
「花瓶の下に敷いてあったレース編み。ごめんなさい、覗いてしまったの。」
「ああ。」
光がくすっと笑った。その笑顔が嬉しくて世界が明るくなったような気がした。
「わたくし、手紙を書いたりして……。迷惑だったかしら?」
「……今朝はなかったので、体調がすぐれないのかと思っていました。」
櫻子はぱっと光を見た。
綺麗な横顔はあまり感情を出しておらず真意は読めない。
もしかして手紙を待っていてくれたの?
「また書いていいかしら?」
櫻子が明るい声で輝くような笑顔を向けると、光はちらっと見て目を伏せた。
「姫さまのお好きにされるといいと思います。」
「櫻子よ。名前を呼んで。」
「……。」
「姫さまなんて呼ばれたことがないもの。ほら、私がいいと言っているの。名前を呼んで。」
「呼べません。」
「いいわ。いつかきっとね。
あ、それから教育係の休みが水曜日なの。水曜日のこの時間、ここに来るわ。光が仕事でいない時は仕方ないけど、時間がある時は会ってくれる?」
「それは、命令ですか?」
櫻子は少し目を見開き、すっと真面目な表情になった。
「いいえ、あなたはお父さまの命令しか聞かないんでしょう? これは独り言よ。今度の水曜日、学校が帰ったら、お菓子を持ってここに来ようかしら。一人では食べられない量のお菓子。誰か一緒に食べてくれないかしら。」
光がふっと笑った。その笑顔を見た櫻子は満足げに微笑んで母親との昼食に間に合うよう、その場を後にした。
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