さよなら、彼方

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さよなら、彼方

 私は代替品として産まれて来た。  私の姉にあたる彼方(かなた)という子は、十五歳で亡くなった。  そのあとにお母さんが代わりに産んだのが、私だ。  私には遥香(はるか)という名前こそ与えられたが、お父さんとお母さんが見ているのは常に彼方のことだけだった。  私の誕生日は、彼方とまったく同じ日だ。もちろん、ある程度近い時期を狙ってふたりが私を作ったのであろうとは思う。けれど、ほんの一日も違えること無く同じ日に私をこの世に産み落としたのは、並々ならぬお母さんの執念の賜物だろう。  産まれて来てからもずっと、私は彼方の代わりだ。  彼方の好んだ服を着せられ、彼方と同じ髪型をさせられて、彼方と同じ習い事に通わされていた。少しでも早く彼方に近づくために、年相応のことなど許されず、幼少のころから望まぬ文学少女として育て上げられた。  結果、私はかしこぶった子供になり、そのまま小賢しい高校生に育ってしまった。  お父さんとお母さんのそんな姿勢に反感がないわけでは無い。だけど私が自分を彼方として見られ続けていることに気付いたのは、小学生の頃だった。家はすでに、お父さんとお母さんと彼方で形作られてしまっていた。  家庭を変える力などあるわけもない子供の私は、その歪んだ生活に鬱屈としながら従うだけである。それは今も変わっていない。心の中に絶えず吹き込んでくる隙間風を時には無視し、時には震えながら生きていた。  私の世界は、いつの間にか白黒写真のようになっていた。  アラームの音で目が醒めた。  私は寝間着から制服に着替え、髪をとかして二階の自室を出た。一階のリビングからは、朝食のトーストの香りが漂っている。リビングのドアに手をかけ、一度深呼吸をして中に入った。 「おはよう」  私がリビングに行ってテーブルの椅子に腰かけると、すでに座っていたお父さんと台所で作業していたお母さんがこちらを見た。 「おはよう。アンタ今日はちょっと遅かったんじゃない?」 「母さんの言う通りだ、お前時間には正確じゃないとダメだぞ」  お父さんとお母さんは、私を決して名前で呼ばない。『アンタ』『お前』それが私を呼ぶときの呼称だ。この家に、遥香という名前が呼ばれたことは一体何度あっただろうか。 「ごめんなさい、髪をとぐのにちょっと時間がかかって」 「まぁ身支度をしていたって言うんなら。冷めないうちに朝食べちゃいなさい」 「うん、いただきます」  我が家の朝食はほとんど変わることがない。彼方が好きだったメニューが何度も何度も変わる事無くテーブルに並ぶのだ。ふたりはそれを喜ばしいこととして受け入れているようだった。  私はただただ、虚しい思いを抱きながらこの生活にも慣れて――いや諦めてしまっている自分を噛み締めるだけである。 「ごちそうさま。行ってきます」  朝食を終えお皿を流しに運び、私は玄関に向かった。  時刻は朝の七時、私が通う高校は最寄り駅から六駅の距離にあるので、時間の余裕はたっぷりとあった。ただ、中学生のころの彼方はこの時間に家を出ていたようだ。だから、あまり遅くまで家に居てもふたりに急かされるだけ。  それは気持ちの良いものではなかったから、私は彼らの幻想に従うことにしている。  春の暖かな風に吹かれながら駅まで歩き、電車に乗る。高校は都内から郊外に向かう方向の路線なので、それほど通勤通学のラッシュに悩まされることはない。  高校一年生。  私は、中学三年生で亡くなった彼方がたどり着けなかった場所までやってきた。  それでも生活は何も変わらない。変わった事と言えば、今まで詰め込まれていた習い事が全部無くなったことくらいだろう。きっとお父さんとお母さんも、高校生になった彼方をどうして良いか判断がつかなかったのだと思えた。  目的地について電車を降りる。高校に続く道は街路樹に囲まれていて景色が良い。  すでに散ってしまったが、入学当初は桜が満開でキレイな道だった。  今生い茂っている木の名前を私は知らないけれど、この道は好きだ。灰色で囲まれたコンクリートの沿道を歩くより、ずっと心地よい。  校門をくぐり抜け、新しい校舎の中に入り教室のドアを開ける。まだ登校してきている生徒はまばらだったが、その眼が一瞬こちらを見て、離れた。  席につくと学級委員長の長谷川(はせがわ)くんがそばにやってくる。整った短かめの髪の下に、生真面目そうなメガネ。その奥の瞳はいつも何かを観察しているように見えた。 「月城さん、おはよう。今日も早いね」 「おはよう長谷川くん。そういう長谷川くんこそいつも早いのね」 「僕は教室のカギを貰って開けなきゃだから、いつも一番乗りだよ。学級委員長なんだから、ちょっとでもクラスに貢献しないとね」 「そう、お疲れ様」  どこか自慢げに言った長谷川くんの相手を切り上げ、私は窓の外に視線を向ける。長谷川くんはまだとなりに立ったままだ。気配が遠のかないので、私は仕方なくもう一度長谷川くんを見た。  ――何か言いたそうにしている。  こういう人の顔色を伺うくせも、自分では好きではなかった。ただ彼方のいる家族として生きていく滑稽な生活の中で、知らぬ間に身に着いてしまったものである。 「あのさ、月城さんっていつも同じ時間に来るんだね」 「うん、まぁ。規則正しい生活だとでも思っておいて」 「そっか、規則正しい……それは、良いことだね。ごめんね、なんか気になっちゃって」 「気になるって、どうして?」 「朝早く登校する生徒ってさ、僕みたいにカギを開けるとか部活の朝練とか理由があるんだけど、月城さんにはそれがないじゃん。ただ登校しているだけっていうか……なんか不思議で」  高校生活が始まってまだ二週間ちょっと。それでも長谷川くんはクラスの人間を良く観察しているようだ。私は面倒になって、愛想笑いを張り付ける。 「これくらいの時間が好きなの、余裕があって落ち着くし。それだけよ」 「そっか、ならいいんだ。なんかあったら、いつでも僕に言ってね!」  世話焼きな委員長に軽く頷き返して、息を吐く。何が彼をあんなに駆り立てるのだろう。あるいはただの性分かもしれないけれど……分析してしまうのは私の悪癖か。  窓から見えるグラウンドでは、サッカー部の朝練の光景が見えた。  見るでもなくなんとなく視線を送っていると、次第に生徒も登校してきて教室が活気づいてくる。不意に、私はポンと肩を叩かれた。 「よーぅ月城! おっはよ!」 「南雲くん、今日も元気ね。おはよう」 「おー、元気元気! 朝飯も好物だったからご機嫌よ俺ってば」 「そう、良かったね」 「んじゃまぁ、今日も楽しく学園生活ってやつをやっていきますか!」  私に声を掛けた生徒――長い髪を無造作になびかせている南雲(なぐも)くんが笑いながら自分の席に歩いて行った。  私はあまりクラスに溶け込んでいないけれど、彼は誰彼構わず声をかけていく。いわゆる陽キャという部類の人なのだろう。南雲くんの存在でクラスが盛り上がっている節はある。  始業五分前に、大きな足音を響かせて女子生徒が入ってくる。彼女はそのまま早足に私のとなりの席に座って、身体を寄せて来た。 「ドールちゃん! おっはよー、今日も可愛いね!」
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