さよなら、彼方

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 授業を受け、都子ちゃんとお昼を一緒にして、長谷川くんや南雲くんとどうでも良い話をしているうちに放課後になった。都子ちゃんはニコニコとしている。 「じゃあ行こうか! あたしの家、学校から一駅だから」  連れたって駅まで歩く。電車に短い間乗り、駅からまた歩く。駅前は少し賑やかだったが、少し進めば閑静な住宅地が並んでいた。都子ちゃんが「ここだよ!」と指さした場所は、まだ建てられてそれほど経っていないだろう小奇麗なアパートだ。  白く塗られた壁面に、銀色の郵便受け。清掃は行き届いているようで清潔に見える。  階段を昇り、二階にあがって目の前のドアに『三島』と書かれた表札があった。 「ちょっと待っててね」  都子ちゃんはドアにカギを差し入れ回し、奥にひとりで入っていった。少ししてドアから顔を覗かせた都子ちゃんが、口元に人差し指を当てながら私を手招きする。  首を傾げながら玄関に入る。静かにするように言われているので、お邪魔しますとも言えず無言で上がり込むことが微かに気になった。  都子ちゃんの家に入ると、右手側に廊下が、左手側にバスルームに続くであろうすりガラスの戸が見えた。真正面はリビングとキッチンで、リビングの机の上にはアルコールの缶が錯乱していた。缶に埋もれるようにして、テーブルに突っ伏して女性が寝ている。  都子ちゃんに袖を掴まれた。手を引かれるような形で廊下をそろりと歩き、奥の部屋に通される。部屋に入りガチャンと内カギを閉めると、都子ちゃんがふぅっと息を吐いた。 「ごめんね、びっくりしたでしょ。うちのお母さん、お酒が好きでさ」 「ちょっとびっくりしたけど、平気だよ」  お酒好き……とてもそう言うレベルのものには見えなかったけれど。  人の家の事情を深く考えるのはやめにして、都子ちゃんの部屋を見渡した。四方にぬいぐるみが並べられており、壁紙も可愛らしい薄ピンク色。いかにも女の子らしい部屋だ。高校生の部屋と考えれば、少しだけ幼い印象かもしれない。 「人形やぬいぐるみが好きとは聞いていたけど、こんなにいっぱいあるんだね」 「えへへ、いいでしょ。あたしはいつもこの子たちと一緒なんだよ」  白い歯を覗かせて、都子ちゃんが微笑んだ。 「この子たちが居れば、あたし家でひとりでも寂しくない、怖いこともない」 「ひとりって、さっきの人、お母さんなんだよね?」 「うん。でもお母さんは家に居る時はお酒を飲んでることが多いし、しょっちゅう出かけてるんだ。もちろん仕事もしてくれてるんだけど、それ以外も」 「そう、このぬいぐるみたちが都子ちゃんを守ってくれるのね」 「そういうこと!」  彼女がいつも昼食はコンビニのパンだったことを思い出す。お母さんが買ってくるのか、自分で買って来ているのか。手料理とは無縁そうなキッチンとリビングを思い出し、私のお弁当を羨んでいた彼女の気持ちがわかった気がした。  都子ちゃんは私を部屋に呼ぶことが出来て喜んでいるようだった。いつも以上にニコニコしている。ただ、目にはどこか怯えの色があるように思える。 「あ、いけない。あたしったら飲み物も出さないで。ちょっと待ってて」 「まだ学校に来るときに買ったペットボトル残ってるから、気にしないで」  立ち上がろうとした都子ちゃんを手で制する。なんとなく、あのリビングに都子ちゃんを行かせたくなかった。 「気が利かなくて、ごめんね」 「そんなことないよ。それより、コレクションを見せてくれるんじゃないの?」 「そうだったね、あたしのグッズたち、ドールちゃんに自慢しちゃおっと!」  それから、都子ちゃんのぬいぐるみ紹介が始まった。ゲームのキャラクターであったり、ゆるキャラのマスコットであったり、私にはぜんぜんわからないものも多くある。それでも、目を輝かせながら話す都子ちゃんが楽しそうで、見ているこっちも気持ちが和む。  この子の周囲を癒してくれるような空気は、いったいどこから来るのだろう。 「それでそれで、とっておきはこれです! じゃーん!」 「これは、お人形? ずいぶんキレイに作られているみたいだけど」  都子ちゃんが抱えるように持ちだした人形は非常に精巧な作りのものであった。眼こそ人形らしく大きく作られているが、滑らかな髪に通った鼻筋、小さな唇。今までのぬいぐるみとは違う、人を思わせるものだ。 「球体関節人形って言ってね、手も動かせるんだよ。ほらミヤコ、ドールちゃんですよ、握手握手」  そう言って都子ちゃんが人形を動かしてその手を差し出してくる。私は苦笑しながら小さな手を握った。人形の大きさは都子ちゃんが抱えて丁度良いくらい、60センチはあるだろうか。 「可愛いね、この子もミヤコって言うの?」 「えへへ、宝物なんだ。名前はずっと迷ってたんだけど、つい自分の名前にしちゃった」 「いいじゃない。都子ちゃんもミヤコも可愛らしい。姉妹みたいで」 「そう見える? 嬉しいな。あたしにとっては妹、ううん子供? お友達……どれにも当てはまるような子なの。ドールちゃんにも紹介したかったんだー!」  人形を抱いてにっこりと笑う都子ちゃんに、私も微笑み返した。 「大切なものを見せてくれて、ありがとう。それに素敵なお部屋でいいなって思う」 「ドールちゃんの部屋も、いつか見てみたいなぁ。すごい整頓されてそう!」 「私の部屋は、きっと見てもつまらないよ」  彼方の残影が残されているだけの、本当につまらない部屋である。私自身の趣味を入れ込むことを、お父さんとお母さんは良しとしていない。彼方の面影が崩れるからだろう。 「都子ぉ! 帰ってるのぉ!?」  不意に部屋の外から、呂律の回っていない大きな声がした。都子ちゃんの顔色が途端に曇る。 「ドールちゃん、ちょっと待ってて」  そう言って都子ちゃんは足早に部屋を出た。何やら言い争う、いや女性が一方的にまくし立てる声が聞こえる。聞き耳を立てる気はなかったが、何度も同じことを繰り返し言っているようであった。お父さんが泥酔した時のような、酔っぱらい特有のくどさがある。 「友達が来ているから!」  都子ちゃんのその言葉で、相手の声のトーンが落ちた。しばらくして、都子ちゃんが部屋に戻ってくる。無言でさっきまで座っていた場所に座りなおすと、ミヤコと名付けた人形を抱きしめて何度も深呼吸をした。 「驚いたでしょ、ごめんねドールちゃん。お母さん寝起きがちょっと、悪くてさ」 「ううん、私は気にしない。でも都子ちゃんは平気?」 「あたしは、うん、だいじょうぶ。あたしには、この子たちがいるから」  都子ちゃんが抱いている人形の髪はサラサラで、着ているオシャレな洋服にも皺ひとつない。肌もきちんと掃除されているようで、本当に大切にしているのだろうなと思われた。  この部屋は、いわば都子ちゃんのお城なのであろう。都子ちゃんが自分を守るために作り上げたお城。彼女にとって人形やぬいぐるみは特別な存在に違いない。  ドールちゃん。私につけた謎めいたニックネームも、今ならなんとなく納得出来るものがある。それだけ慕ってくれているのかと思うと、嬉しい気持ちにもなった。 「騒がしくしちゃったね、ドールちゃん、もう帰る?」 「どうしようかな」
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