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「こっから先はトンネルくぐるからな。ちゃんとつかまってろよ」
「トンネル?」
前方に目を向けると、確かに大きなトンネルが見える。トンネルの上を自動車が走っているから、おそらく道路を作るために後から設置されたものなのだろう。坂はかなり急勾配に見えた。
「ようっし、いくぞー!」
南雲くんの掛け声とともにトンネルに入る。トンネルは舗装されており、自転車もスムーズに進む。目の前に、急な下り坂が迫って来た。
自転車が長い坂を下っていく――初めて感じる心地良い浮遊感に、私の全身が包まれた。
「きゃっ……ふ、ふふ、あはははは!」
自転車が猛スピードで坂を走り抜ける。
景色が見た事ない早さで移動して、風が気持ちよく全身をうつ。
今まで味わったことの無い思いがけない解放感に、私の口からは自然と笑い声があふれ出した。
「あはは、何これすごい、あっははは!」
「おっ、月城が声あげて笑ってるのなんて初めて見たわ。どんどんいくぜ」
「はやーい、すごーい。これ楽しいかも」
やがて道は平坦になったが、加速した自転車はすごい早さで道を走り続ける。
そして上を走る道路を通過するとともに、今度は上り坂になった。勢いをつけて自転車が昇っていくが、さすがに二人乗りの自転車の勢いは坂の途中で止まった。南雲くんが一生懸命ペダルを漕いでいる。私は降りて自転車を押すのを手伝った。
「サンキュー月城、楽しかったみたいだな」
「うん、なんだか新鮮だった。すごいはしゃいじゃったよね、ちょっと恥ずかしいや」
「ジェットコースターみたいだろ、毎回ここを通る時はテンション上がるんだ」
坂を登り終えたところで、南雲くんが歯を見せて笑った。私は彼方が行った遊園地以外に行ったことがないので、こういう体験は初めてだった。こんな、ほんの一瞬でも何もかも忘れさせてくれるようなことがあるなんて。
「ジェットコースターは乗ったことないからわからないけど、すごかった」
「月城、ジェットコースター乗ったことないの? ガキのころ家族で遊園地とか行かなかった?」
「行ったような気もするけど……ジェットコースターはないかな」
彼方はあまりこういう乗り物を好まなかったのだろう。私は遊園地に行っても、彼方が好きだった乗り物にしか乗せてもらうことは出来なかった。
「ふーん……まぁ人それぞれか。でもめっちゃ楽しかっただろ?」
「うん、とっても楽しかった」
「そんじゃ、もう一回行くか!」
そういうと南雲くんは自転車の向きを変え、再びトンネルに向けた。
「えっ、でも南雲くん疲れちゃうでしょ。悪いよ」
「いいって。月城の笑い声とかめっちゃレアだし、俺も一緒に大声で笑うから」
「じゃ、じゃあもう一回だけ」
再び自転車に腰を掛ける。南雲くんが自転車をこぎ出すとすぐに今昇って来た坂道に入った。自転車はどんどん加速していく。南雲くんがペダルを回すように漕いで、さっきよりも早いくらい。
私はまた笑い声をあげて自転車に揺られた。私があんまり楽しがるものだから、結局南雲くんは二往復半もトンネルを走ってくれた。二人で笑い声をあげながらトンネルをくぐり抜け、私たちは地元のほうへ走っていく。
見覚えのある小学校が見えてきた。ここから私の家まで徒歩で十分もかからない。
「南雲くん、ここでだいじょうぶ。あとは歩いて帰れる」
「そっか。んじゃこの辺で止めて、と」
自転車を降りた私は、南雲くんに軽く頭を下げた。
「今日は本当にありがとう、送ってくれたのもだけどあの坂道……本当に楽しかった」
「いいってことよ。ただ、そのー、あのな。俺もお願いしたいことがあって」
「南雲くんが、私にお願いしたいこと?」
「うん、あれだよ。あのー……」
南雲くんは気まずそうに頭をかいたあと、彼にしては小さな声で言った。
「宿題とかな、今度見せてくれたら嬉しいかなーって……ダメ?」
「ふふっ、それを頼むために私を自転車で送ってくれたの?」
「そういうわけじゃないけど、ほらせっかくの良い機会かなーって思っちゃったり」
南雲くんの気まずそうな様に、私は噴き出してしまった。なんてシンプルで可愛らしいお願いなのだろう。いつごろから、彼はこんなことを考えながら自転車を漕いでいたのであろうか。無邪気過ぎる下心が、いっそ快い。
「いいよ、宿題くらい見せてあげる」
「ホントに? やったぁ、めっちゃ助かるわ、月城よろしくな!」
「だけど。宿題を写したって、南雲くんの学力があがるわけじゃないんだよ。自分のペースでいいから、ちゃんと勉強はしといたほうがいいよ」
「うっ……気を付け、ます」
宿題を写させることの是非は、あまり考えなかった。南雲くんが望むのなら、まぁアリかなと思うくらいだ。それで今日の借りを少しでも返せるならそれでいい。
どうしても成績が振るわなければ、長谷川くんあたりに勉強を指導するように言うという手もある。役目を与えられれば長谷川くんも喜ぶだろう。南雲くんだって、毎回の補習よりはクラスメイトとの勉強会を選ぶ気がした。
「じゃあ、俺はあっちの方なんでこれで。月城、気を付けて帰れよ」
「うん、またね南雲くん。宿題は明日持っていくから」
「おう、そしたらまた明日学校で!」
大きく手を振って、南雲くんが走り去っていく。私も家に向かい歩き出す。心なしか、いつもより家に進む足取りが軽い。こんな日もあるんだな。小さく微笑んだ私は、深呼吸をせずに家のドアを開けることが出来た。
都子ちゃん、長谷川くん、南雲くん。
彼らの存在によって、私の学校生活は少しずつ楽しいものへ変わっていった。
都子ちゃんがバイトを休みな日には、南雲くんの発案で四人で駅前に遊びに行くこともある。誰かと外に遊びに行くなんて、私には想像もしたことがなかった。
ある放課後は四人でダーツに行った。都子ちゃんはダーツの矢の投げるのが下手で、矢はあらぬ方向に飛んでいく。
「やーん、ぜんぜん的に当たらないー!」
「三島、あんまり腕を振り回さないでもっと肘を固定しろ。肘から先で投げるイメージで」
「そんなこと言われたってわかんないよ南雲くーん!」
生まれて初めてのダーツ。南雲くんのアドバイスを受けながら私たちは一生懸命的に向かってダーツの矢を投げた。私や長谷川くんはだんだん的に当てられるようになったが、都子ちゃんはいつまでもほとんど的に当たることがない。
でも、一回だけ的の真ん中に当たったときは、私の手を取って大喜びしていた。
カラオケにも、初めて行った。
都子ちゃんはアニメソングなのだろうか、可愛らしい声で可愛い曲を歌う。長谷川くんは緊張しながらぎこちなく、テレビで流れているのを聞いたことがあるような曲を。南雲くんは元気よく声を張っていた。
「ドールちゃん、どうして歌わないの?」
「私歌うのは苦手だから、皆が歌うのを聴いてるだけで楽しいよ」
「そんなん言わないで月城も歌えばいいのになぁ」
マイクを勧められても、私は苦笑しながらやんわりと断った。私は今時の音楽がまったくわからない。お父さんとお母さんにCDプレイヤーは買ってもらっていたしパソコンもあったけど、ふたりが与えてくれたのは彼方が好きだった曲だけだ。
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