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1.酒場の少女
――約束しましょう。あたしたちの愛について。
温暖な気候と肥沃な土壌に恵まれる商業都市クックリア。その一般庶民が住む区域の、夜でも賑やかに栄える歓楽街。屋台が通りの端から端まで並び、大勢の人で溢れ帰っていた。
ごろつきの集う少々危険な場所でもあるので、子どもは必ず親と同伴しなければならない。親の目を盗んでは、スリルを求めてやって来るやんちゃな子供たちも少なくはなかった。
大通りから少し外れた場所の酒場には、そのやんちゃな子供に属しそうな少女が一人で飲み食いを楽しんでいる。
「ぷっはー! やっぱり騒いだ場所で飲むお酒はおいしーね! このソーセージもさいこー!」
空になったジョッキをテーブルに勢いつけて置けば、銀髪のポニーテールが弾んで揺れる。つまみを頬張り、ジョッキに入った発泡酒を美味しそうに飲む姿は不思議と子供ではないようにも見える。小柄な細い身体は、明らかに幼さの残る風情ではあるのだが。
豪快な飲みっぷりに、隣のテーブルの赤ら顔の男たちが愉快そうに笑った。
「わはは、じょーちゃんすげーな、そっちのカルロといい勝負じゃねーか」
「何をっ、俺だってそれぐらいイケるっつの、それ、ぐびぐびぐび……やべ目が回った」
背後に倒れて寄りかかった先のウェイトレスが、キッとねめつける。
「ちょっとこの飲みすけが! 営業妨害じゃないアホんたれ!」
すぐさま隣から少女が庇うように身を乗り出した。
「ウェイトレスさんごめんなさーい、チップはずむから許して許して」
ウェイトレスの谷間の開けたブラウスの中にお札をねじ込めば、「やだん、だからメアリってば好き♡」とウィンクして機嫌良くカウンターへ消えていった。それを見た男が申し訳なさそうにぽりぽり頭を掻く。
「じょーちゃんいいのか? 未成年だろっていうヤボなことは言わねーけどよ、元からそんなのクソくらえな場所だし。けど実はいいトコの娘さんだろ。家でパパとママが心配してんじゃないかぁ?」
その身に纏うのは仕立ての良いミニドレス。生地もよくよく見れば上物だ。その袖口で発泡酒の泡のつく口元を拭い、少女はくすりと冷笑を浮かべる。
「うふ、パパとママは遠い場所で暮らしてるから、あたしが今何処で何してるかなんて知らないも~ん。あ、でもね、家族はいるよ、可愛い可愛い弟くんが――」
言い切る前に、ふと殺気が放たれ、少女の背後に影が降りる。
「じゃあお前一人がどうこうされたってすぐに誰もやってこねーよな?」
少女はとっさに身体をテーブルに伏せた。その真上を酒瓶が曲線状に振り回されて、代わりに真向かいにいた男に当たって伸びてしまう。
「ぐえっ……!」
男が目を回して倒れた弾みで、テーブルの食事が盛大な音を立てて床に散らばった。
「あっ、あたしのエール、ソーセージ……ッ」
少女が眉を寄せて睨み付けた背後には、数人のゴロツキがニヤリと笑って佇んでいた。
「この前はうちのマルコが世話になったようでな。可哀想に鼻が折れちまってよう、治療費モロモロ払ってもらうぜ?」
「は? ……ああ、この前いちゃもん付けてきたブサ男? ちょっとケンカに負けたぐらいで何よ、心の狭い輩ばかりね」
冷たい嘲笑を送れば、ゴロツキ共もいきり立つ。
「うるせっ、こちとら女に負けたとなっちゃ恥ずかしくて表も歩けねーんだよ! しかもこんなチビザルに!」
少女のこめかみがピクリと痙攣した。フリルのついた袖を捲って、身を前かがみにする。
「……上等じゃない、このチンピラ風情が。滅多打ちにして帰らせてやるわッ!」
「言ったなクソガキが!」
闘争特有の吼え猛りを耳にして、夜道を見回りしていた青年騎士は赤銅色の眼差しを一瞬にして険しくした。部下が駆け足で状況を知らせに来る。
「報告します! 二通り先の奥の酒場にて争いが生じました!」
「すぐに沈静化、嫌疑のある者はただちに捕縛」
「かしこまりました」
二人はきびきびとした足取りで進み、歓楽街の通りの壁にもたれて客引きする女性たちの前を通り過ぎていく。銀河を掬ったような銀色のさらりとした髪が夜風でなびけば、そのきらめきに夜の蝶たちが気付いて色めきだった。
「ニコラス様じゃない」
「ニコラス様~! 今日こそ遊んでいかない?」
騎士は、歩みを止めずに天使のような微笑みを浮かべる。
「申し訳ない、美しい人。火急の用事があるのでまたの機会に」
「も~う、そればっかり!」
しなを作って口を尖らせつつも、声をかけてくれただけ儲けものだと蝶たちは有頂天な心地だった。
「一人のレディに寄ってたかってなんてサイテー。こういう時、世間のお嬢様は『下がれ、下郎が!』って言うのかしらね?」
少女は可愛らしく小首を傾げながら、テーブルからテーブルへと飛び跳ねる。
「このっ、待ちやがれ……!」
背後から襲い掛かろうとするゴロツキの手をひらりと避け、わずかな隙をついて喉仏に蹴りを入れた。男の息が一瞬詰まって、そのまま崩れ落ちる。
周りからヒューヒューと手笛やら歓声やらが湧きだって、少女の心は益々踊る。
「はいはーい、おひねりはここに置いておいてね!」
次々に迫ってくる手や足をすり抜けて、蝶のように舞い蜂のように刺す、と言った風に可憐に男共をのしていく。
残り三人。不敵に笑って着地した瞬間に、足首が突き刺すように痛んだ。
「ッ、ひねった!?」
膝をつき、しかめた顔を上げると、血走った目をしたゴロツキ共が少女を追い詰めいていく。
「てめぇ、ぶっ殺してやる……!」
酒瓶を上に振り上げた時――外から幾つもの足音が響く。酒場の出入り口から巡回中と思われる小隊が威勢良く入ってきた。
「クックリア騎士団だ! ただちに乱闘をやめろ!」
「げっ、騎士団だ!」
「やべっ」
ゴロツキの他に、何か後ろ暗い覚えでもあるのか他の客の一部もわらわらと窓から逃げようとする。
隊長の青年騎士が、その一人を組み敷いてあっさり捉える。
「逃走する者は全員捕らえろ!」
若々しく張りのある声に少女は肩を揺らした。痛む足を堪えて、自分もこそこそ逃げようとするが、その首根っこを捕まえられた。
驚きと困惑と、苛立ちを露わにした青年の声が耳元へじんわり纏う。
「……何故あなたがここにいるのですか」
「……だって、家だとお酒飲めないじゃない……」
「当たり前です。あなたはまだ十五歳でしょう。我が街クックリア条例においては、成人の十七歳より飲酒が可能。辺境ご出身のあなたにも、そうお教えした筈ですが?」
怒りを込めた低い声に、少女は冷や汗が伝うのを止められない。
「メッサーナ副団長! 怪しい者たちは全員捕らえましたが――」
部下が隊長に報告をしようとして、思わず言葉が途切れる。
「メアリ義姉さん! あなたって人はどうしてそうなんですか!」
騎士団の精鋭、ニコラス・メッサーナ副団長が明らかに自分より年下の少女にそう叱りつけていたからだ。
姉と呼ばれた少女は、どう見ても自分より年上の青年を睨み返し、その口元を引っ張った。
「何よニコラス! あんた、あたしの義弟のくせしてナマイキなのよ!」
「痛っ、ちょっ、逆ギレですか!? 今日という今日は絶対許しませんよ、ええ許しません。いくらあなたが私の義理姉であろうと、いけないことはいけないと言わせていただきます!」
「きー! あたしがいないとなーんにも出来ないくせに! ナマ言ってんじゃないわよぅ!」
じたばたと暴れ出す少女をニコラスは肩に担ぎ、さらりと部下に告げる。
「私は彼女を護送する。後はお前に全て任せた」
「この義姉不幸者~~! はーなーせぇ〜〜!」
メアリの喚き声がこだまする荒れた酒場を、ニコラスは颯爽と後にする。その後ろ姿を呆然と見送っていた部下だったが、他の騎士たちがゴロツキを連れ出していくのを機にすぐ思考をしゃんとさせ、命令通りに任務を再開した。
それでもほぼ無意識にポツリと呟く。
「あれが噂の、メッサーナ家の若き未亡人か……」
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