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 リカルドが初めてノクスを見たのは17歳の春、王都パレシアにあるデュラン騎士団士官学校の入学式の時。  中庭の壇上で群青色の真新しい制服に身を包み、入学生首席として堂々と挨拶をする金髪の青年。それがノクス・ヴァレンシュタインだった。  金髪に太陽の光が反射して、キラキラと輝き、後方で見ていたリカルドは眩しくて目を細める。まるで昔教会で見た絵画の天使みたいだなとリカルドは思った。  リカルドと同じ17歳のはずだが、ほぼ成人男性と変わらない体つきのリカルドと違って、まだ少年らしさを残した丸い頬、猫のようなアーモンド形の青い目、ツンと尖った形の良い鼻に薄いピンクの唇。肌は白く、首のところで切り揃えられた艶やかな金髪とまさに美少年を絵にかいたような容姿だ。  堂々と前を見据えて澱みなく挨拶するその姿は、見た目の幼さとは裏腹に同い年とは思えないくらい大人びている。  ただ、その表情には何の感情も浮かんでおらず、笑ったら可愛いだろうに勿体ないなとリカルドは思った。  リカルド・ノアはパレシアの東にあるザラという土地で生まれた。  ザラは元々小国で、リカルドが生まれる50年ほど前にデュラン王国に占領され、以降はデュランの一地方として存在していた。  もともと痩せた土地で、農産業もろくにできない貧しい国だった。ザラ人たちはデュランの支配階級である貴族の使用人や、下請けをして何とか生計を立てていた。そういった経緯もあり、現在でも貴族の中にはザラ人を軽視するものが多い。  リカルドの母親ライラは、16歳からデュラン南方にあるエスタティオーネという町の貴族の屋敷でメイドとして働いていた。  ザラ人特有の褐色の肌に、つややかな黒髪、黒真珠のような瞳を持つ美しい女性だった。少し垂れた目が可愛らしく、明るい優しい性格の働き者で、他の使用人たちからも好かれていた。  18歳のある日、滅多に帰宅しない屋敷の主人が戯れに部屋を掃除していたライラを手籠めにした。ライラはひどくショックを受けたが、しかし他に行く当てもなく、他の使用人たちの支えもあって屋敷にとどまり、その数か月後妊娠が発覚した。    自分を犯した男は憎いが、お腹の子供に罪はない。子供の存在を知られれば、嫉妬深い本妻はきっとこの子の命を奪うだろう。ライラはそう思うと一人屋敷を出て、生まれ故郷のザラに戻った。  ザラで無事にリカルドを出産すると、女手一つで育てるために、ライラは娼館で働きだした。  周りの人たちもそんな親子に同情的で、リカルドの面倒を見たり、何かと協力してくれた。そんな支えもあって、倹しいながらも親子二人、仲良く暮らしていた。  ライラはリカルドを優しく愛情深く育て、リカルドもそんな母が大好きだった。  「いい?リカルド。相手の立場になってよく考えて行動しなさい。自分だったら人にされて嬉しいことをやりなさい。そうしたらきっとみんなあなたを好きになってくれるし、あなたにも嬉しいことが起こるわ」  ライラが幼いリカルドによく言った言葉だ。  リカルドはその言葉を胸に刻んで、幼いながらも人の気持ちに聡い子供になっていった。それはライラに対しても言えることで、少しでも母を喜ばせようと、自分なりにできる事を見つけて母を支えた。  しかし、リカルドが9歳の時、それまでの無理が祟り、ライラは病に倒れる。薬を買う金も医者に見せる金もなく、リカルドは必死にライラを看病したが病は一向に良くならずどんどん衰弱していった。  ライラは病床にリカルドを呼ぶと、これから一人で生きなければならない息子に何か残してやりたいと息も絶え絶えにリカルドの出自を語った。  「……どうしても困ったときは、この手紙を持ってエスタツィオーネのある屋敷を訪ねなさい……。場所は手紙に書いてあるわ。……あなたの大きくなった姿を見れないのが本当に悔しい……一人にしてゴメンね……」  そう涙を流すと、そのまま静かに息を引き取った。28歳の若さであった。  リカルドはもう二度と笑い掛けてくれない母の傍で、涙が枯れ果てるまで泣き続けた。    周りの大人達はリカルドが大きくなるまで面倒を見ようと言ってくれたが、リカルドは、なぜ母がこんな目に合わなければならなかったのか、どうしても父に一言文句を言いたくて、エスタツィオーネの父の元に行くことを決心する。  ザラからエスタツィオーネまでは馬車で4日間。9歳の子供の一人旅は大変で、途中様々なトラブルはあったが何とか父の屋敷に到着する。  今まで見たどの建物より大きく豪華で、リカルドは少し怯んだが、母の無念を晴らすため覚悟を決めて門を叩く。  どこの子供だと門番に門前払いされそうになるが、手紙を見せると、少し待っていろと門番は屋敷の中に入っていった。しばらく待たされた後、執事らしき燕尾服を着た男性が出て来て付いてくるよう告げられる。  男に連れられて見る屋敷の中は煌びやかで、リカルドはまるで違う世界に来たような気分になった。  案内された部屋にいたのは、自分の2倍はありそうな大男だった。  年は40歳くらいだろうか。短い茶色の髪を撫でつけ、眉は太く、緑の目は鋭く吊り上がり、引き結んだ口は自分くらいペロリと食べてしまいそうに大きい。  大男は不機嫌そうな顔のままリカルドに近づき、値踏みするように頭から足の先までじろりと見ると冷たく言い放つ。 「使用人としてならば、ここにおいてやる。だが息子だとは認めないし、他言無用だ」  それだけ言うとリカルドを部屋から追い出す。  初めて父から掛けられた言葉をリカルドは反芻した。自分を見る顔からは親子の情らしいものは一切感じられなかった。「野良犬を追い払うのも面倒だから餌だけ与えて放っておこう」それくらいの無関心さだった。   幼いリカルドの中にふつふつと、この男にいつか復讐したい、見返したいという怒りが湧いてきた。  こんなどす黒い感情は生まれて初めてだった。  復讐のためなら利用できるものは何でも利用してやろうと、リカルドは住み込みの使用人としてその屋敷で働く決意する。  屋敷には母を覚えていた者も多く、皆リカルドに同情的だった。  特にコック長とメイド長の夫婦はリカルドに親切で、自分の息子のように可愛がってくれた。 「ああ、ライラの息子か。よく来たなあ。旦那様の息子だってことは絶対秘密にしろよ。奥様に知られたら殺されちまう」 「よく顔を見せて。ああ、目元がライラにそっくりだねえ」  夫婦がリカルドに向けるまなざしは優しく、母がここで愛されていたことを知る。自分も母みたいに愛されるようになりたいと、リカルドは母の教えに従い、一生懸命に働いた。    そして8年の年月が経ち、リカルドは大きくなるにつれて、自分の力だけで生きていけるようになりたい、出世して父親を見返したいと強く思うようになる。  その道筋として見つけたのがデュラン騎士団士官学校だった。  元々貴族の子弟だけに門戸を開いていたが、近年では新入生不足で庶民でも入学金と授業料さえ払えれば入学できるようになっていた。また奨学金制度もあり、少ない枠ではあったが成績優秀者には奨学金が与えられた。  もちろんリカルドには入学金を払えるあてはなく、猛勉強の末、奨学生として合格。屋敷を出て、士官学校で騎士を目指すこととなる。 そして今日はその入学式。  士官学校では貴族や庶民の身分はなく、平等に扱われると聞いていたが、式が始まる前に聞いた話では貴族と庶民で寮が振り分けられており、この狭い箱庭の中にもやはり身分がありそうだとリカルドは少し失望した。  ただ、あの屋敷で下働きをしているよりかはとずっといい。ここでなら己の力で将来を掴むことができる。  リカルドの胸は大きな希望で満ち溢れていた。
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