<1・振り向いたら推しがいる!>

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 ***  子供の頃、千鶴の父は転勤族だった。銀行の営業マンだったらしい?ということをうっすらぼんやりと聴いている。そのため、幼い頃の千鶴は父と母と一緒にあっちにこっちにと引っ越しが絶えない子供だったのである。  多くの子供ならば、慣れた学校からすぐに転校しなければならない環境に嫌気がさしたものかもしれない。が、千鶴は自他ともに認めるポジティブガールだった。自分で言うのもなんだが、どこに行っても友達ができるタイプだったのである。仲良しになった友達と離れ離れになるのは辛い。しかし、外国に行くわけではないし、ましてや死ぬわけでもないのだ。今のご時世、その気になれば電車一本で何処にだって行けるもの。会いたければいつでも会えるし、メールやLINEもある。むしろ、新しい環境に行くたびわくわくしていたほどだ。  千鶴がそんな性格だったからだろう。両親は最後まで、父の単身赴任を選択しなかった。己の無駄に明るく元気な性格は、父から受け継いだものに違いない。どんな辞令も喜んで引き受けるし、新しい支店でもすぐ打ち解けてやっていけたという父。彼は今でも年末が近づくたび、大量の年賀状の執筆とその返送に追われている。  話を戻すが。  そんな千鶴が東京某区、(かすがい)町にいたのは小学校三年生の時のことだったわけだ。  鎹西小学校に通っていたのは、三年生の一年間だけ。レイヤードこと虹村遥と同じクラスだったのも、この頃のことだった。 『近寄るんじゃねえよ、ダサ眼鏡!キモオバケ!』 『うう、うううっ……』  そのクラスには、少々質の悪い少年たちがいた。いわゆるガキ大将タイプの連中である。小学校三年生だと、多くの男の子はまだまだ華奢で小柄な子が少ないが――ごくごく稀に、高学年に間違えられそうなほど大柄に成長する子もいるのだ。ジャイアンさながらのガキ大将もまさにそのタイプ。彼は身長も大きければ横幅も大きく、力も強く喧嘩も強かった。気に食わないことは何でも暴力で解決すればいいという、いかにも幼稚で野蛮な人種だったと記憶している。  まあ、子供である以上、“親の教育が悪いせいだ”と言えなくもないが――それはさておき。  そのガキ大将と取り巻きにいつも虐められていたのが、虹村遥少年だったというわけである。当時彼は不似合いな黒縁眼鏡に、長い前髪を伸ばした地味少年だった。前髪を伸ばして顔を隠していたのは、人とは違う目の色を隠したかったというのもあるのだろう。彼は祖父がドイツ人で、瞳の色は鮮やかな青い色をしていたからだ。  そして、その分厚い眼鏡と瞳の色を理由に、ガキ大将たちに言いがかりをつけられていたわけである。馬鹿らしいとしか言いようがない。人の本当の価値は、見た目よりも内面に宿るものであるはずなのに。 『お前ら、何やってんだあ!』 『うげっ』
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