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それは小学一年生の夏休みのことだった。内気でなかなか友だちのできなかった私はひとりでいつもの公園にいた。
ここは団地の下にある小さな公園で遊具も滑り台と錆びた鉄棒だけ。遊んでいる子どももほとんど見かけなかった。適度に日陰もあって涼しくて、私にとってはお気に入りの場所だった。
お絵描きをするため私は少し太めの木の枝を探した。けれど、管理人さんが掃除をしたばかりなのか、地面には枝どころか葉っぱ一枚も落ちていなかった。
「――はい、どうぞ」
「え?」
「探してたでしょ」
突然目の前に突き出された木の枝。私は驚いて尻餅をついた。確かにそれはお絵描きにうってつけの枝だったけれど、知らない人から話しかけられたことで私の警戒心はすぐに顔を出した。
恐る恐る見上げたら、真上で輝く太陽があまりにも眩しくて目が眩んだ。だけど、そこにあったのは太陽なんかよりももっとキラキラした笑顔だった。
「キレー……」
「え、なに?」
「あ、いや、キレイな枝だなって」
って、なに言ってんだろう……私。
へんてこなごまかしのせいで顔が熱くなった。
夏休みに入ってからはお母さん以外とはまともに話していないのだ。ましてや同学年の男の子となんて、学校ですらも話したことがないのに、人見知りの私にはその出会いは少し刺激が強かった。
「あの……ありがとう。でもどうして私が木の枝を探しているってわかったの?」
「いつも見ていたから。ここで絵を描いてるの」
「え? いつも?」
「うん」
驚いた。だって、ここの公園は本当に人がいないから。そりゃ時々は、ここに住んでいる子どもたちが遊んでいることもあったけれど、大体みんな少し歩いたところにある大きな公園へ行くのだ。
でも、こんなキレイな顔をした男の子なんていたっけ?
思い出してみてもわからなかった。だって私はいつもひとりで、ここで絵を描いていたから。寂しいのだってもう慣れっこだった。お絵描きは大好きだし、私は一人っ子だから一人遊びにも慣れている。
でも今、胸がドキドキしているのはどうしてなんだろう。
久しぶりにお母さん以外の人と話したから?
キレイな顔をした男の子だから?
わからないけれど、この人からは嫌な感じはしなかった。ドキドキしているのも苦しいような緊張感じゃなくて、なんかこう心が温かくなるようなくすぐったい感じ。
私、親近感を持っているのかな。なんか家族以外でこんなのって初めてだ。
「ぼく、カンタ」
突然名乗られ、私は条件反射で立ち上がった。
「あ、私はカンナ」
「ハハ、名前、一文字違いだね」
今度は無邪気に笑う。その顔は少し幼く見えた。
「カンタくんは今、何歳なの?」
「ぼくは……五歳だよ」
「え! 幼稚園児?」
私は素っ頓狂な声を上げた。それはこの団地中に響いた。だっててっきり小学生だとばかり思っていたから。それくらいしっかりしていてハキハキ話すし、不思議な安心感もある。
彼が幼稚園児だなんて……私は少し自分が恥ずかしくなった。
それから私とカンタくんはこの夏休みの間、ほとんど毎日一緒に遊んだ。
「ねえ、カンタくん。それはなにを描いてるの?」
「見てのとおりだけど、わからない?」
「ちっとも……。なんか怖い絵本に出てくるオバケみたい」
「オバケって……ひどいね。ちゃんと実在するよ。まあ絵本ってところは当たりだけど」
そして考えた。
絵本に出てくる、大きな体で面長で、だけど小さな目をした優しい怪物……それは私の大好きな絵本に出てくる、とあるセリフだった。
「そうか、クジラだ!」
「正解!」
「アハハ、全然クジラに見えないや」
「ひどーい」
「でもカンタくんもクジラが出てくる、その絵本知っているんだね」
「うん。大好きな本だから……」
「私も!」
気づけば彼といるとき私はいつも笑っていた。お腹を抱えて時には目に涙を浮かべて、私たちはたくさん笑い合った。
ああ、この時間がずっと続いてほしい。
神様、どうか夏休みを終わらせないでください。
そんな途方もないバカげたことを夜になる度、何度も神様に願った。
だって、初めて出来たお友だちだったから消えてほしくなかった。ずっと一緒にいたかった。甘酸っぱくていつまでも噛み締めていたい。この気持ちの正体をあの頃の私はまだよくわからなかった。だけど、多分そう。あれはきっと私の初恋だった。
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