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◇  翌日も、細かい雨が世界をじわりと濡らす朝だった。さすが梅雨。頼まれなくても雨は降る。  無邪気に祈っていた昨日までのことが嘘のように、私は重苦しい気持ちを抱えながら家を出た。  なんだかとんでもない失態をさらしてしまった、そんな気分だ。  ただ背中がぶつかっただけ、それだけのことだ。混雑した車内で、そんなことはよくあること。自意識過剰にもほどがある、でも。  彼に触れた背中がまだ熱をもっている気がする。鼓膜を揺らす彼の声。思い出すだけで、どくんと心臓が鳴った。  ──も、もしかして私、だいぶ重めじゃない? これはさすがにちょっと自分でも引く。  平常心、平常心。ペースが乱されてゆく。  雨粒を乗せる傘が重い。柄を握り直し、落ち着かない気持ちで交差点を見遣ると、クリーム色のバスの車体が近づいてきていた。  音を立てて開いたバスのドアをおずおずとくぐり、カードリーダーにタッチする。後部座席の向かって右端に、彼の姿はなかった。  いない。  右端のいつもの彼の席には、毎朝見かけるスーツ姿の男性が座っている。後部座席の真ん中が、ひとり分ぽつんと空いていた。  乗っていない。雨なのに。  顔を合わせるのが気まずい、先ほどまでそう思っていたのに、いざ彼の姿が見えないと、絶望に似た気持ちに襲われた。  どうしたんだろう。風邪引いた? 臨時休校? それともただの遅刻?  吊り革につかまり窓の外を眺めながら、頭の中はぐるぐると終わらない疑問が渦を巻く。  私、やっぱり失敗した? 挙動不審すぎた? 気味悪がられた? 話したこともないくせに、好き、とか。  流れる街並み。灰色の空。にじんでいく、雨に溶けていく。流されてゆく。  次のバス停で乗りこんできた人波に、気持ちまで押しつぶされそうだ。ひとつだけ空いていた席に、見知らぬ誰かが座った。  周りの乗客にとっては、きっとなんの変哲もないいつもの朝。でも、私にとっては、切り取られたピースが抜けた不完全な朝だった。
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