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町は、大看板を掲げ暖簾をはためかせる昔ながらの商店や、ハイカラな横文字の看板を縦にぶら下げた白い窓枠のカフェ、一階はガラスを嵌めた両開きの扉がある飲食店で、二階部分に飾り彫りの手すりを付けた露台がある、きらびやかな総二階の建物。丸い形の屋根に尖塔のような時計台が乗っている堅牢な石造りの公共施設などが連なっている。
そこを、美しい振袖に紅色で天鵞絨のショールで着飾った女性と、フランネル生地の三つ揃いに中折れ帽を被った男性との二人連れが、そんな建ち並ぶ店先で足を止めている。着物にインバネスコートを羽織り山高帽を被った男性たちは、足早に人混みをすり抜けて行く。行き交う人のさざめきと、俸手振りなどの呼び声も相俟って賑やかな事この上ないのだ。
道路は帝都のように舗装してあるとは言えないが、よく締め固められている。が、自動車などは、ほとんど走っている訳でもない。更に人道は赤煉瓦が敷きつめられていて、洒落た見映えになっていた。
彼方を見ても此方を見ても、途切れる事なく様々な物が目に飛び込んで来る。ヒサは、人であった頃の自分では見る事のなかった賑やかな街や、感じる事の出来なかった人いきれ、目にした事の無い流行りモノなどに目を輝かせながら、足取りも軽やかだった。
その後ろ姿に、槐は目を細める。
――どれ程の刹那でも良い。ヒサ殿が心安く過ごせるように――
そんなふうに思っていた。
槐にとってヒサは文字通り“命”なのだから。
そぞろ歩いて暫くすると、何だか雲行きがあやしくなってきた。この町辺りは、冬でも温暖な気候だと聞き及んでいたけれど、少し冷たい風に土の臭いが混じり出した。
これは早々、雨が降り出すだろうと、槐が空を見上げたその時、とうとうポツリポツリと振り出してしまった。
けれど、雨が降り出したと言ったところで、別に如何と言う事はない。ヒサも槐も濡れはしないのだから。
いつもならそれで良いのだけれど、こんなに沢山の人の目があるところで雨に降られて濡れもしないと言うのは、さすがに奇異な事と映るだろう。
槐はヒサに声を掛ける。
「ヒサ殿、傘を持ってはおらぬ故どこかで雨宿りをしよう」
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