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「ひな子はもっと、自分を誇るべきだ。あの夜、ひな子がふり返らずに走ったから、皆は助かったのだ」
「で、でも、九里くんだってルリさんと戦ったんでしょ……?」
「あんなものは、我ら九萬坊天狗の敵ではない。まあ……少し我の手に余るところがあって、兄さまの力は借りたが」
九里くんはそう言うと、はずかしそうに笑った。
大人みたいな言葉で話すけど、笑うとふつうに小学生の男の子と変わらない。
「九遠さんは? いないの?」
わたしが聞くと、九里くんは今思い出したみたいに言った。
「兄さまなら、長月の里へ行ったぞ。天狗と狐の争いに発展したら困るとかなんとかで、色々やることがあるそうだ」
「じゃあ九里くんはしばらく、この森に一人で住んでるの?」
「うむ、そのつもりだ」
九里くんはなんてことないように言ったけど、わたしはあの広い神社みたいな家に、九里くんが一人で住んでいるところを想像した。
がらんとした和室に、九里くんがひとりっきり。
「おばあちゃん」
わたしはふり返って、おばあちゃんの顔を見る。
おばあちゃんも、わたしがなにを言いたいかわかってるみたいだ。
ふーっと大きなため息をついて、おばあちゃんが九里くんを見る。
「お兄さんとやらが帰ってくるまで、うちに住みな」
九里くんの目が大きく開かれる。
「しかし、我は天狗で……」
「二学期から学校に戻るなら、その言葉づかいも直したほうがいいね。うちに住めば、人間のくらしも少しはわかるだろうさ」
それに、とおばあちゃんはつづける。
「私は、あんたの父親の居場所を知っているかもしれない」
「なっ……!」
「うちに来たら、くわしい話を教えてやるさ」
おばあちゃんはそれだけ言うと、さっさとふり向いて、歩いていってしまった。
九里くんは、ぼーっとその場で立ちつくしている。
わたしはちょっと迷ってから、九里くんの手をぎゅっとにぎった。
「ねぇ、もう一回、転校して来ない? それで、その、わたしと友だちのままでいてほしいなって……」
九里くんが、まじまじとわたしを見る。
大きかった目がゆっくりと細くなって――それから満面の笑みになった。
「帰るぞ、ひな子!」
「ちょっと待って! きゅうに走らないで!」
これはわたし、花向ひな子が出会った天狗の話。
この夏と、九里くんのことを、わたしは大人になってもずっと忘れないだろう。
九里くんに手を引かれ、走りながら天狗の森をふり返る。
高い高い木の上で、だれかがくすりと笑う声がした。
―完―
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