スィート アンド サワー

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 千尋が生まれた日は、前夜まで降っていた雨が、翌朝にはすっかり止んで、庭では、朝日を浴びた梅の木と紫陽花が露を滴らせ光っていた。  好美が、窓を開けて深呼吸していると、電話が鳴り、 「お姉さん、哲也です。予定通り生まれました。女の子です!」と、千尋の父、哲也の弾んだ声が聞こえた。 「生まれたんですか! おめでとうございます。私もこれからすぐに支度してそっちに向かいます」そう言って好美は手早く準備を済ませ、車に飛び乗った。  普段は気にならない渋滞が、この時はやけに気になりながら、ようやく病院に着いて、看護師に聞き、二階の八号室に行くと、「鈴木京子」という表札が出ていた。部屋に入っていくと、妹の京子が、目を閉じて横になっていた。が、人の気配に気づいたのか、ふいに目を開け、ふわっと花が咲いたように微笑み、 「お姉さん、来てくれたのね、ありがとう」 「おめでとう。頑張ったね」京子の手を握りしめ、隣にいた哲也にも改めて、 「この度はおめでとうございます」と言う。 「もうすぐ授乳の時間なの。だから、ちょうど赤ちゃんに会えるね」と京子が言った時、看護師が顔を出し、部屋に、ベビーコットで寝ている赤ん坊を連れてきた。思わず息を飲むほどかわいらしい赤ん坊の登場に、部屋中が一気に和やかなムードに変わる。京子は授乳を始め、赤ん坊は喉を鳴らしてお乳を吸った。その手も指も足も全てがおもちゃのように小さくて、その小さい指にちゃんと爪がついていることに好美は感動を覚えた。 「かわいいでしょ」と哲也が自慢げに言う。 「ええ、本当に」 「でしょう?」お乳をあげながら言う京子は、すっかり母親の顔つきだった。 「誰に似てるんでしょうねえ」赤ん坊を見飽きることなく見ながらそう言うと、 「それが、実は、僕達もそのことを話していたんですが、結局、なんだかお姉さんに似てるね、ってなりまして」 「あらまあそれは嬉しい」と思わず顔が綻んでしまっている。授乳を終えた京子が、 「お姉さん抱っこしてみる?」と言い、好美は恐る恐るだったが、抱き方を教わり、赤ん坊を抱っこする。その小さな体はどことなく湿っていてずっしりと重たく、なんとも言えない気持ちになった。 「あったかい」と呟く。赤ん坊が、腕の中でもぞもぞと動いている。落とさないようにとしっかり抱きしめた。 「はじめまして。好美叔母ちゃんでちゅよ。これから仲良くしてくだちゃいね」と話しかける。 「あ、名前は決めたの?」 「千尋にしようと思っているの」 「そうかあ、良い名前ね」 「あら、今、お姉さん見て、笑ったような気がする」と京子が声をあげ、好美は赤ん坊の顔をさらに覗き込むようにして見、「ちひろ、ちひろちゃん」と繰り返しその名を呼んだ。
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