ダブルインカム ノーキッズ

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ダブルインカム ノーキッズ

生まれも育ちも大森の足立環(あだちたまき)は、結婚してからもなお、この地域にいるとは、これっぽちも思っていなかった。 商店街を買い物中、誰かに出くわして話し込み、一時間もの時間を費やしてしまう事などは日常茶飯事で、時に、生鮮食品を買った日などには、人目を避け、自転車を飛ばして一目散に帰らなければならなかった。 それでも、大森駅からバスで三駅の人情味あふれるこの界隈が大好きな事には変わりなく、同時に、地域の隅々まで知り尽くしていた。 更に付け加えれば、スポーツ新聞社勤務の夫と、妻で保育士の自分にとって 一通りの品が手に入る商店街と、夜遅くまで営業しているスーパーの存在は何物にも代えがたく、そう言った面からも、この地からの転居は考えられなかった。 (たまき)の夫、豊はスポーツ新聞社勤務の為、深夜に出勤ということもある。 夫婦二人は、何年かを経て、漸くお互いの勤務形態にも精通してきたが、 その時間帯が、早朝、深夜に差し掛かっていると言う事もあり、(たまき)は、妻として 常に健康維持につながるような献立を心掛けていた。 今朝も、夫より早めに起床し、朝食を用意する。 全粒粉パン、ほうれん草とベーコンのソテー、目玉焼き、グレープフルーツジュースがテーブルに並べられると、洗面を済ませた豊が、席に着く。 「おはよう。コーヒーはどうする?」 「うん。いつも通り会社に行く途中、買っていくからいいよ。あれっ」 スマホで最新情報をチェックしている豊の反応に思わず(たまき)も何事か?と振り返る。 「何!なんかあった?」 「京大のips細胞に関しての論文で不正があったらしい」 「STAP細胞が世間を騒がせた時から、4年。今度はips細胞か…」 「こういう研究論文って、世界中の錚々(そうそう)たる研究者が競争してるようなもんだからさ、あせっちゃう気持ちはわかるけどな」 「STAP細胞って、生後間もないマウスの脾臓(ひぞう)からリンパ球の細胞群を取り出して、弱酸性の液につけ、その後たんぱく質を含む培養液で一週間培養すると完成って話だったじゃん。一番、難しい箇所って、どこかって考えたら『マウスの脾臓からリンパ球の細胞群を取り出す』所だと思うのね」 「うん。言われてみりゃそうだね。某女史は研究所に缶詰めになって、再度トライしたが、STAP細胞はできなかった。今、彼女に質問できるとしたら "実験のどこの段階で(つまづ)いてたか”を聞いてみたい。 冷静さをかいたら、ギャンブルも研究も後の祭り、取り返そうと躍起になった所で、なんにもならない」 「確かに」 「じゃぁ俺、早番だから、食べたら行くわ」 「わかった、気をつけてね。そうだ、晩御飯、どうする?」 「今は何とも言えないな。また、連絡するよ」 (たまき)は、瞬く間に、玄関先に消えた夫を見送ることもなく、自ら用意した朝食を食べ、後片付けをした後、家を出る。 いつものようにマクラーレンの自転車を駆って、自宅マンションから二〇分程の場所にある保育園に入る。 園児たちは三月半ばとは言え、まだ春の兆しも見られない時期を物ともせず、園庭で思い思いに遊んでいた。 「(たまき)先生、おはよう」 「おはよう、みつきちゃん」 何人かの園児と挨拶を交わし、職員室に向かう。 引き戸を開け中に入ると、雑多に物が置かれたデスクの向こうに、聖母マリア園の園長、草壁静代の姿が認められる。 「おはようございます」 「おはようございます。 (たまき)先生、その後どう?例のお迎えがいつも遅くなるっていう親御さんは?」 「昨日もギリギリでしたね。でも、腰の低い方なので、どうしてもやむを得ない事情があるのだろうなと思い、つい、いいですよって言ってしまって」 「あなたが優しいから、向こうもそれに乗っかってるような所もあるんでしょう。でも、他の父兄の手前もあるし、何とか手を打たなきゃね」 (たまき)は、それについての明言は避け、曖昧な笑顔を見せるだけにとどめた。 聖母マリア園の園長、草壁静代は、保育の教科書を何冊も上梓している、 保育界のカリスマとも言える存在で、聖母マリア園で働きたいという保育士は後を絶たなかった。 園長は、保育士達が、気持ち良く働けるよう、ミーテイング以外にも 定期的な食事会を開いたりし、それぞれが忌憚ない意見を述べられるような機会を設けていた。 よって、結婚を機に、聖母マリア園を退職した職員も、時々、マリア園を訪ねてきて、草壁に新生活での悩みを打ち明けたりしていた。 豊は、地下鉄を乗り継ぎ、中央区月島に社屋(しゃおく)を構える東洋スポーツ新聞社に入る。 ビルの4階にある記者室では、既に出社している社員が、各々の担当しているスポーツ関連の記事を作成し、中は、気軽に話しかける事も(はばか)れるほどの殺伐(さつばつ)とした空気が流れている。 豊も、途中、購入したコーヒーに気を配りながらデスクに置き、他のスポーツ紙の競馬関連の記事にざっと目を通す。 東洋スポーツ新聞社で、競馬担当の自分が、どんなに綿密な取材を重ねて記事を仕上げたとしても、内容が他紙と(かぶ)ると言う事もある。 豊は、そうした事を踏まえ、入念に記事内容をチェックしていった。 今月は、中京競馬場で金鯱(きんこ)賞、次いで、下旬に高松宮記念杯(たかまつのみやきねんはい)が開催される。 そうした中、豊は、栗東(りっとう)トレーニングセンターへの取材の前に、JRAによる公開情報にて、出走予定馬の仕上がり状態などを調べていく。 「足立さん、明日、栗東(りっとう)ですか?」 「そう、東京に戻ってくるのは八時すぎくらいかな」 「今回どうなりますかね。高松宮記念(たかまつのみやきねん)。シーズン開幕じゃないですけど、 そわそわしますよ」 「それなら、お前の受け持ってる競艇の方がいいよ。 予測つきやすいと言うか…」 「そうでもないですよ。突き詰める所、選手のテクニックで決まる訳ではなく、運による所も大きいので」 豊の4年後輩にあたる江口は、競艇担当で、競馬とは根本的に違うとは言え 「客が短時間に無数のチケットを紙くずにする」という点では、似てなくもない事から、良く飲みに行く間柄だった。 競艇は6艇で競い合い、大時計(おおどけい)がゼロを示してから一秒以内にスリット線を通過しなければならないという天性のキレがものを言う競技である。 よって、競走馬のコンディションによる所が大きい競馬とは、成り立ち自体が異なるギャンブルと言える。 しかし、両者においては、何度痛い目にあっても、次回こそは巻き返すとした揺るぎない闘志を持ち続けるファンがおり、豊と江口は、ある種、彼らを畏敬(いけい)の念で見ていた。
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