日常

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日常

保育園では、午後七時までに、保護者が子供を迎えに来る。 (たまき)は、今日も、1日の業務を終え、園を出た。 豊から夕食を家で取るという連絡が入り、速攻で考えたメニューに沿い材料を買う。 スーパーで、下味がついた魚を買い、付け合わせとなる惣菜の材料を吟味して購入する。 一人きりの夕げならば、書店に立ち寄ったりしてだらだらするのだが、今日に限っては家路を急いだ。 テーブルに焼き魚、(かぶ)とふきの煮物、白和(しらあ)えなどを用意している最中、豊が帰宅する。 さすがに12年もの月日が経てば、キス&ハグ等は皆無で 「お疲れ様、手、洗ってきて」 と言う、色気もへったくれもない言葉がついて出るだけだった。 豊は、食卓につくと(はし)を持ち、拝むようにしてから、料理に手をつけていく。 西洋であれば、食事時、夫婦がメインディッシュを前に 「今日は、お仕事どうだった?」 と言う会話も出るのだろうが、和食の場合、右手に箸、左手にお椀を持つため、話しつつ食事もするとなると、少々無理がある。 各国の要人が招かれる日本の皇室の晩餐会においても、フランス料理が主流となっているのは「会話込みの食事」というのが前提での事だからなのだろう。 食後、甘い物は、駄菓子であろうが、高級洋菓子店の物だろうが何でも好きと言う豊の為、取って置きのバームクーヘンを出してやる。 「保育園でね、絶対美味しいから食べてみてって、前から言われてたの。やっと買えた」 「不思議だよな。見た目は、普通のバームクーヘンなのに、こんなにしっとりしてる。 一体、何が違うんだろう?」 「ふふっ」 (たまき)は、そう言われて、即答できる人間は、この菓子の作製者に限られるのに…と思いながらも笑ってごまかした。 結局、豊は、コーヒーをお代わりし 満足の面持(おもも)ちで「ご馳走さま」と言うと、自室で明日の仕事の為の準備に取りかかった。 (たまき)は環で、一時間ほどを家事に費やし、その後は、友人とラインをしたりして過ごす。 子供がいれば、豊はともかく、(たまき)の時間は子供の生活に合わせて分刻みで回っていく。 それは、今の時点では「取り越し苦労」として片付けられるが、時に、子供達の世話に追われる生活を想像してみては、うっとりとする(たまき)だった。 保育園には、様々な匂いが充満している。 園児、一人一人が、その体躯(たいく)に、それぞれ家庭で染み付かせた匂いをまとって登園するからだ。 衣類から漂う柔軟剤の香り、朝食に出たおかずの匂い、母親に塗ってもらった軟膏の残り香といったものが、互いに自己主張するように教室内で暴れる。 (たまき)が受け持っている4才から5才のクラスは通園歴も数年を数える為、遊び仲間も自ずと決まってくる。 昼休みは、(かたよ)らない様、グループメンバーを変えて食事をするようにしているが、何年経っても好き嫌いが直らない子供もおり、保育の難しさを痛感する。 (たまき)自身からすれば 「何が何でも食べなさい」 と強制するのは嫌だった。 そんな我慢比べをした所で、保育士には罪悪感が、子供にはトラウマが植え付けられるだけで終わってしまう。 よって、今日も(たまき)は、無理強いせず、人参のグラッセを前にうつむいている園児に「次、がんばろうね」と言い、器を片付ける。 食後は歯磨きの後、絵本を読み聞かせ、午睡となる。 午睡後、年長の子供は皆て出来るゲーム等の遊びをし、やがて迎えに来る保護者の到着を待つ。 東京から新幹線で米原(まいはら)に出て、そこからJR琵琶湖線(びわこせん)で40分の所に、栗東(りっとう)トレーニングセンターはある。 百名程の調教師を含む総勢千三百人もの人々が、ここで、競走馬一色の毎日を過ごしている。 巷では、栗東(りっとう)の有する坂路のコースが美浦(みほ)のコースに比べ、きついことから 「栗東(りっとう)でトレーニングを積んだ馬の方が優勝する確率が高い」と言われていた。 豊は、入賞確実とされる馬は勿論、注目外の穴馬にも張り付く。 いわゆるダークホースは、当てずっぽうではなく、各トレーニングセンターに足を運び、その馬の走りを直に見なければ見抜けない。 とは言っても、偶々(たまたま)目にした記録が、 調教駆け(ちょうきょうがけ)によるものだったりする事も多々ある為、ある意味、記事自体がギャンブルであるかのようになっている。 目を皿のようにし、各競走馬を見て取材を終えた豊は帰りの車内で記事の概要をまとめる。 運良く、騒ぎ立てる乗客もいなかった為、ことのほか仕事が、片付いてゆく。 しばらく仕事に集中するが、東京に近づいている事を知った時点でパソコンをしまい、東京駅で降り、社に立ち寄る。 会社で、記事を完了させた後は、編集次局長に確認をもらい、レイアウトに回す。 そうこうしていると、豊は、向かいのデスクから、江口がこちらを見ているのに気づく。 仕事を終えた二人は、揃ってタイムカードを押し、暗黙の了解のように、会社近くにある、一見洒落た造りの居酒屋「コリドール」に入った。 「もう、こんな時間か、早いな」 「まだまだじゃないですか、宵の口もいいとこ」 珍しく、ノリのいい江口に、豊は心なし違和感を覚える。 「豊さん、高松宮記念(たかまつのみやきねん)、どうなりますかね?」 「それで、俺がこの馬買えって言って、勝った試しないだろう」 「そりゃそうですけど、あーでもない、こうでもないと色々語り合う所にギャンブルの醍醐味がある気がして」 「珍しく、詩人、江口が出たな」 豊は適当に江口を煙にまくと、それぞれ、麦焼酎、サワーで所狭しと並べられた料理を流し込んでいく。 「で、ボートレースの方はどうなの?」 「競馬より競艇の方が選手としてのハードルが低いのは確かなんですが、養成途中でふるいにかけられ、結構な数の脱落者が出る。さらにA1クラスともなれば、一握りの存在となりますならね。”俺は雑魚(ざこ)とは違う”的なオーラを感じますよ」 「5月の笹川賞も出場制限厳しいからな。良い成績を収めた者だけしか出られない」 「それプラス、ボートやエンジンの抽選もありますから、運の要素も関わってきますけどね」 「そう言った一か八かの要素が、ボートレースの魅力なのかもな」 秋田出身の江口は酒好きではあるが、仕事に支障をきたすような飲み方はしない為、今日もレモンサワー三杯で店を出る。 豊は、昨日遅かったようで、まだ寝ている。 (たまき)は、いつものように声をかけずに家を出た。 卒園式の次には、入園式が控えているが、園児はさておき、保護者の常識などが問われる昨今、楽観主義者の(たまき)とて、いつもとは違うモードになる。 どんな気質の園児が入園してくるだろうか?が本来、重視されるべきポイントではあるが、現在ではモンスターペアレントという言葉も一般的となったように、 常識など通用しない親もおり、保育士としては、心して彼らと対峙(たいじ)しなければならない。 登園時、子供が保護者に手を引かれやってくる。 言わば分身とも言える三つ編み頭の人形をしっかりと抱きかかえている子、昨日、保育園で誰かと玩具の取り合いをした事を引きずっている子、お気に入りの先生を見つけて駆け寄ってくる子など、その様子は様々だ。 園庭で園児を遊ばせる際にも、うっかりトイレにでも行こうものなら、その時間に思わぬアクシデントが起こらないとも限らない。 よって、過度の水分摂取も控えるようになる。 又、年少のクラスの担任は想像以上に大変だ。 昼食時は園児の食事に時間を取られ、自身の食事もままなならない。 それでも、園児によって描かれた自身の似顔絵を見せてもらったりすると、理屈抜きに嬉しい。 昼食後の園児の午睡の時間、保護者に渡す連絡帳を記載する。 保育士のさりげない一言が、親にとっては一攫千金の値打ちとなる事もある。 保育士として新米の頃は、通り一遍(いっぺん)の記載で手一杯だった(たまき)も、今は、余裕で園児の日常が手に取るようにわかる文章を書けるようになった。 帰り際、同僚と、夫の帰宅時間についての話になる。 夫が記者をやっている為、自身の保育士と、時間が合わないとこぼすと、同僚は毎日判で押したように、19時に玄関のベルを鳴らす夫がうざったいと言う。 その言葉に、相当、ストレスが溜まっているなと感じた(たまき)ではあったが、ここで吐露(とろ)した事で、多少は相殺(そうさい)されたはずと考える。 退園し、目抜き通りの商店街を行く途中、親友、湯沢沙世(ゆざわさよ)の家であるフルーツショップの前を通る。 沙世(さよ)はあいにく、接客中だったが、日曜日、行きつけの甘味喫茶で落ち合う約束をしている事もあり、足早に通り過ぎた。 日曜、駅ビルの中に入っている甘味処は、珍しく閑散としており、二人は窓際の、街行く人々を眺められる席に腰を落ち着ける。 「沙世の所みたいに、旦那と妻が同じ職場っていいなぁ」 「そうね。今日は遅くなるとか、いちいち連絡しなくても済むし」 「相変わらず、忙しそうだね、お店」 「店頭での売り上げよりも、ホテルに(おろ)したりしている方が大きいの。結局 フルーツは、レストラン、宴会で必ず使われるから。 (たまき)は、どうなの? 相変わらず、ご主人が出て行くのは深夜とかが多いんでしょう?」 「そうだね。無論、昼夜逆転なのは、百も承知で一緒になったわけだから。 最近では、夫婦って言うより、単なる同居人みたいな関係かな。それも気楽でいいんだけどね」 二人は、甘い物の効果もあり、日頃の鬱憤(うっぷん)をはらすかのように饒舌になる。 「日曜日はね、パパと孫二人が行けば、お義母さん達も取り敢えず満足なのよ。かと言って、私だけが蚊帳(かや)の外って訳でもないし、逆に一人の時間を持てる訳だから、お互いにハッピーなの」 「子供って、お義母さんに預けるのが一番だよね。あの世代ってビシッと言ってくれるし」 「そう考えると、私の人生って案外おいしいのかも」 (たまき)は、自慢げに言う沙世に、多少のジェラシーをいだくも、過去、彼女にはいろいろな面で支えてもらったしな、と考え直し 「そうよ。あんないいお姑さん、なかなかいないよ」 と言い(ほこ)を納めた。
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