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二人きりの生活
江口と別れ、11時を回った頃に家に着く。
「あら、お帰りなさい。早かったね」
「うん、江口と飲みに行ったんだけど、あいつ秋田からの出張帰りだったからさ。ぐだぐだ飲んでるわけにもいかないかなと思って」
「さっすが~出来る男は違うね。
あっ、私も明日、早いんだった。じゃ、お先に」
「おぉ、おやすみ」
そう言って、環は奥の4畳半の部屋に消えた。
豊は、そんな妻の後ろ姿を見ながら、寝室を別にしてからもうどれ位経つだろう?と考えた。
仕事の関係で、どうしても夫婦の時間帯が一致しない。
ほんの数日、寝室を別にしてみたら、思いの外快適に過ごせた事に味を占め、
暫くこれで行こうとなった。
テレビでは、八ヶ岳に住んでいる60代の夫婦の特集をやっていた。
夫の定年を機に、都心から八ヶ岳のログハウスに移り住んだらしい。
あえて物が置かれていないルーフバルコニーはすっきりしており、
リゾートホテルのパンフレットを見ているかのようだった。
昔は、お年寄りが縁側で、訪ねてきた友人と語らったり、将棋を指したりというのが一般的だったが、今は「ルーフバルコニーでお茶を」あるいは
「ルーフバルコニーで夕涼み」という時代なのだろう。
夫は越してきた当時、荒れた土地を耕す事からスタートしたので
入植者のような気分も味わえたと言って笑っていた。
その映像を見て、豊は、いつか地方に、コテージを購入して夫婦で住んでみるのもアリだな…と考える。
しかし、その為にはまず先立つものを用意しなければと気づき
「まだまだ、先は長いぞー」
と自らに檄を飛ばした。
園児達も入園してから、三が月が経ち、大体のグループ分けが出来てきた。
一概に言えることではないが、一人っ子の場合、保育園での玩具を友達と
互いに譲り合って使うという概念を持ち合わせていない。
「昨日は、あなた一人で使ってたから、今日は○○ちゃんに使わせてあげて」
と保育士が注意したとしても「きょとん」としている。
大人たちが、社会のルールを教え込まなければ、園児は自分で学習していくしかない。
そしてそれは、幼い子には出来ない相談とも言える。
園を出ると、沙世から、二人の共通の友人である志保美が上京して来ているので三人で会わないか?と言う連絡が入る。
日曜10時に、待ち合わせた喫茶店「レイク スワン」に行くと、二人は、すでに席についていた。
「たまちゃん、久しぶり。相変わらず、元気そうだね」
「志保美こそ、あの頃のまま。一体、どういう魔法使ってるの?」
沙世は、そこまで言うか?という表情を見せつつ、すぐ素に戻り
「何にする?私達はね、小倉パンケーキとプリンアラモードにしたの」
と言う。
レイク スワンの写真入りメニューの威力たるや最強で、迷いに迷った結果
フルーツパフェにする。
地方の国立大に進学した志保美は、卒業と同時に、大学の同級生と結婚し、
中学生の子供が二人いる。
その為、比較的早い段階で、子供を義母の下に預け、社会復帰が出来たのだと言う。
「いいなぁ、志保美。理想的なライフスタイルじゃない?」
「ほんと、とんとん拍子って感じだね」
「そうでもないよ。子供だって、だんなに似ていれば賢いはずなのに、極々普通だし。ただ、ふだん、父親に対しては敬語を使わせるようにしてる」
「へーぇ」
「私の勤務先の保育園でも、そうしている家庭あるよ」
「それ、いいかも。尊敬って一朝一夕で定着するものじゃないから」
「たまちゃんの所はどうなの?
御主人、記者の仕事されてるんだよね」
「すれ違いよ。でも、それが二人の関係性に新鮮な風を吹き込んでいるっていうか…」
「うん、わかる。
うちはフルーツ店やってて、一種の家内工業みたいなもんだからさ。
年がら年中、顔突き合わせてるってのもねぇ。偶には一人になりたい」
「あんな素敵な御主人つかまえて良く言うわよ」
志保美も
「そうそう、披露宴の時にもさぁ、方々で、美男美女のカップルねって言われてたもの」
と言い、沙世を持ち上げる。
三人はオーダーしたものを完食してからもなお、1時間半、店に居座ったが
ウェイトレスが二回目の水を注ぎに来た時点で「いたたまれなさ」を感じ
店を出て、別れた。
マンションに戻ると夫は外出中だった。
環は、ソファーに座り、志保美から聞いた話を今一度思い返してみた。
順風満帆に見える誰かの人生も、そこまでの道は決して平坦ではない。
例え今が健康で豊かではあっても、一瞬先は闇とも言える人生を共に、歩んでいくのには結局「相手を立て、思いやる」事が一番大切なのだ。
これまでの人生、
照れくさい、恥ずかしいという理由で、パートナーに感謝の気持ちを伝える事もなく
生きてきた。
1960年、ある政党の委員長が、壇上で右翼の少年に刺された事件が起きた。
彼の妻は
「今朝、これでお別れだと知っていたなら、もっと何かましな言葉をかけてやりたかった」
と後悔していたと言う。
そうか…
「いつか、機会があれば」ではなく、思い立ったその時、言うべきなんだ。
「空気みたいな存在になってしまった二人だけど、あなたには相当助けられている。
今更だけど、これからもお付き合いのほど 宜しく」と。
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