落書きに愛を込めて

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「お悩みの内容はわかりました。小さな子どもでもないのに本に落書きをするなんて、ルリユールとして、そんな人を許すわけにはいきません。その本を見せていただけますか? 落書きの犯人を見つけ出す方法を探ってみましょう!」 「えっ? あっ? あの、さっきも言いましたけど、僕は落書きを怒っているわけではないのです。むしろ、感謝をしているぐらいで――」 「でも、落書きをした人が誰なのか、知りたいのでしょう?」 「あ、はい……、それは……、もし……、そんなことができるなら――」  少し険しい目つきになった少女に気圧され、詠太はリュックから作品集を取り出した。  藍色の表紙には、いかにもミステリの本という感じの書体で、「U大ミステリ研究会 五十周年記念作品集」と印字されていた。鳥打ち帽、パイプ、虫眼鏡、手帳といった、ミステリらしい小道具のイラストが、タイトルの下に「50」の形に並べられている。 「なかなか洒落た表紙ですね」 「そうでしょう? 研究会の先輩の知り合いに頼んでデザインしてもらったんです」 「研究会の作品集といっても、たくさんの人が関わって出来上がったものなんですね」  いたわるように表紙を撫でる少女を見ながら、詠太は、この本の完成を目指し、仲間と奔走していた日々を懐かしく思い出していた。  あの頃は、目標があった――。  いつだって、一緒に駆け回る仲間がいた――。  そして、何か一つやり遂げるたびに、大きな達成感を感じていた――。  いつしかどっぷり思い出に浸っていた詠太は、少女が立ち上がる音で現実に引き戻された。  少女は、布を広げた作業台の前に立ち、その上にそっと本を置いた。  まだ夕暮れまでは時間があるはずだが、急に工房の中が暗くなった。  少女が、変わった形に組んだ指を、本の表紙に押し当てた。  そして、小さく唇を動かしながら、本に向かって何かを呼びかけた。  すると、彼女の声に応えるように、布に描かれた幾何学模様から、ふわっ、ふわっと、淡い水色の光が湧きだしてきた。その光は、本やそこに押し当てた少女手の上で、線香花火のようにはじけた。  見たこともない幻想的な光景に、詠太はすっかり目を奪われていた。  しばらく心の深淵で眠っていた、創作意欲とでもいうべきものが、胸に広がり始めていた。それぐらい、魅力的で神秘的なことが目の前で展開されていた。 「お客様……」  不意に少女に声をかけられ、詠太ははっとした。  いつの間にか彼女の作業は終わっていて、水色の光も消えていた。
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