第3章 三角関係に似た何か

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おそらく自分の立場だけでものを言ってるわけじゃなく、背後に集落上層部の意向を背負ってるって自負があるからだろう。落ち着き払って背筋を伸ばし、母の方へと向き直るとやけにはっきりとした声で答えを返した。 「これは先方の、…つまり来訪者本人。高橋さんのたっての希望によるところなので。昨日のちょっとしたトラブルもあって、こんな状態ですがもう担当は別の者に対応させましょうか。と念押して改めて確認したんだけどね…。やっぱり君がいいって。一晩考えてもらったけど。結局気持ちは変わらない、ってはっきり言われたよ、今朝」 うえ。…何でまた? 思わずちょっとげんなりした顔になりかけてしまったが、そのことに誰かが気づくより先に母が猛然と身を乗り出して口早に抗議を始めたから。みんなその場にいる人の視線はすぐさまそっちに吸い寄せられてしまった、もちろんわたしも含め。 「いやちょっと、無責任じゃないの?あんたたち役場の人間はそうやってほいほい余所者のお客さんの言いなりになってればそりゃ、仕事が楽なんだろうけどさ…。うちの純架は嫁入り前の年頃の娘なのよ?万が一にも間違いがあったらどうするつもり?夏生くんの手前だってあるし。前田ん家にも申し訳が立たないわ、何かあったら」 「えーと、夏生なんか。正直別に関係ないじゃん。この件に…」 言っても無駄、どうせ聞いてない。と口にする前からわかってても言わずにはいられない。本当に全然、何一つわたしたちの間には既成事実も両性の同意もないのに。何でそこまで確信を持ってあいつをうちの婿扱いすんのよ? だけどやっぱり母も山本さんも、わたしのぼそぼそした弱い抗議なんかに気を取られた様子は見せない。唯一父だけが、やれやれ。本当にしょうがないね、この人たちは。といった目をこちらに向けてちらっと笑みを見せてくれただけ。 山本さんはごく生真面目な顔つきになって、珍しくわたしの母を正面から見据えてから重々しく言い渡した。 「そこも含めての勘案ですから。…いえ、高橋氏がそう言ってるんじゃないですよ?先方は若いお嬢さんに間違いのないよう誓って丁重に接しますから、と請け合ってくれています。けど、あの方もお若いことですし。無体なことはしないとしても内心の気持ちが今後どう変化するかまでは誰も何とも言えないでしょう。高橋さんの方だけでなく、もちろん純架ちゃんの方だって」 「いえあの。…そんなこと。まず、ないですよ…」 くそ真面目な顔して当人の前で何言ってるんだ。と呆れて横から口を挟む。けど、当然のように二人ともこっちをまるで顧みない。山本さんも、うちの母も。 やけに真剣な目でじっと考え込んでる母に対し、上からおっ被せるように山本さんはすかさず畳みかけた。 「考えてみてよ、純子ちゃん。彼だって若くて健康な男性には違いないんだよ?頭だって話した感じ、かなり切れそうだし。ざっと健診も受けてもらって全身を調べたけど、どこにも悪いところはなかった。むしろつやつやして栄養状態もよさそうだ」 それは同意。この集落の住民の誰よりも健康そうに見えるし。毒素とか病原菌を持ち込んで来たって風には思えない。 母は頭を目まぐるしく働かせている顔つきで、じっと黙り込んでその台詞に聞き入っている。高橋さんの外見を見たことはないはずだけど。今の話で脳内の『余所者』のイメージが忙しく書き換えられている最中らしいのはこちらにも伝わってきた。 「それでいて、崖の上から思いきって飛び込んできちゃったからには。もうここから出て行く手段ははない。それにここほど安全で食うに困らない土地が外にないのは、彼だって骨身に沁みて知ってるはず。ってことはさ…。結局はこの集落に骨を埋めて。いつか誰か好きな相手を見つけて所帯を持って、子どもを産んで育てて幸せに暮らして一生を終える。それしかないと思わない?」 「いえあの…」 勝手な空想を遮ろうと口を挟みかけ、母の顔に目をやったら。 もうその脳内で、あくまでイメージの『余所者』イケメンバージョンが、ふっくらした可愛い赤ちゃんを抱いてハッピーな顔つきで愛しい伴侶と並んでいる姿がしっかり焼きついてる。ってのがわかってやる気を失い口を閉じた。もちろんその伴侶の女性の顔がわたしになってるのは言うまでもなく。 …そういう手で来たか〜。 結局その山本さんの搦手の策が決め手になって、わたしが正式に高橋くんの付き人になるのはまあ、見逃されたというか。許された。 けど、無理ないこととはいえ。何となくすっきりしないというか、むしゃくしゃはする。 父は母よりはあからさまじゃない。けど、結局わたしが無事に誰かまともな男と所帯を持って子ども産んで幸せな家庭を築くっていうんなら。うちの親たち、相手は別に誰だっていいのか。 夏生のやつといつの間にか勝手に周囲からカップリングされてるのもずっとすごく嫌だなぁと思ってはいたんだけど。それが別の人になったからよかった、とはそりゃならないよ。 大体いくら何でも楽観的に過ぎるんじゃないののか。わたしはこの人が大人しくこの楽園に収まって、末長く幸せに暮らして最後は骨を埋める。っていうようには思えない。
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