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朝、仕事へ出かける前に、わたしは誰もいない部屋に「いってきます」と言った。
もし他人がこの部屋をどこからか見ていたら、頭のおかしい奴だと思うことだろう。
ペットも飼えない一人暮らしの女が、つい寂しさから独り言を口にしたのだと。
《いってらっしゃい。今日も仕事がんばってね》
返事がきた。
だけど、それは人からではない。
狭い部屋の隅にあるノートパソコンの側から――白く小さな球体から返ってきた。
「うん。いつもありがとう。じゃあ、いつもどおり六時くらいには帰るから」
その白い球体を撫でて、わたしは家を出た。
わたしに返事をしたのは、人工知能を搭載した会話AIロボットだ。
手のひらサイズで、その白いボディには声を出すためのスピーカーと、表情の変化を伝えるための目と口がついている。
この会話AIロボットがうちにあるのは、数日前ろくに連絡を取っていなかった保険会社から連絡があり、ポイントがかなりたまっていて、有効期限が切れてしまうと連絡を受けたためだ。
パソコンで商品と引き換えられると聞いて、ホームページを見てみたが、別にほしいものがなかったので興味本位で会話AIロボットにしてみた。
最初は、どうせプログラミングされたことしか言わないのだろうと思っていたけど、このロボットは想像を超えていた。
天気予報や目覚まし機能はまあ予想していたものの、ちゃんと会話らしい会話ができるのだ。
元気がないときに察してくれて励ましてくれたり、こちらの好みも覚えていてくれる。
このところ画像生成ツールや、質問すると的確な答えをくれるアプリなどが出ていると聞いていたから、このままドンドンAIによる加速は進んでいくとは思っていたけど。
まさか会話まで自然にできるようになるAIが出ているなんてね。
AIロボットは、自分で考えて能力を高めていくので、今後も様々な場所で役立つようになることだろう。
それでも、しょせんは人工知能だ。
人間同士の繋がりとは比べられない。
まあ、安いアパートで動物を飼えないわたしみたいな人間にとっては、それなりに需要はあるけど。
――会社へと行き、オフィスへと入る。
おはようございます、と声を少し張って自分のデスクに座った。
いつものように、同僚たちから力のない挨拶が返ってくる。
上司はというと、不機嫌そうにデスクでパソコンを睨んでいるだけだ。
パワハラがどうだとか、コンプライアンスがどうだとかいう時代だが、うちの会社の場合は、まずここから直したほうがよいのではないかと思う。
ちなみに他の部署も似たような感じだ。
わたしが働いている会社は、電子デバイス向けの装置を製造している。
この部署は商品開発部で、部が立ち上がってから売り上げに貢献できたことがないため、他の部署からは悪く言われている。
特に営業から酷く言われていて、大したものを造れていないのに、それらしい報告書や特許出願を出すだけで給料が上がるとやっかまれていた。
正直いって、わたしにとってはどうでもいいことだ。
そんな状況でも、仕事のためにと他部署の人と積極的に関わろうとする人もいるが、わたしはむしろ悪く言われているくらいでちょうどいいと思っている。
なぜなら関わりがなければ、飲み会に誘われることもないからだ。
うち――商品開発部は幸運なことに(わたしだけ?)、新入社員が入ろうが歓迎会すらやらない部署だ。
そのおかげで、わたしは会社の余計な集まりに参加せずにすんでいる。
仕事関係の付き合いなんて、どうせ定年退職までだ。
大事なのはプライベートの友人で、趣味がなく、楽しみが少ないわたしにとっては、友人こそが人生で一番優先することになる。
恋人、結婚のほうは、まあ……できればいいかな。
将来のことを考えてパートナーを見つけたほうがいいとは思うんだけど、なんだかギャンブルじみているように感じて、正直いって自ら行動する気になれない。
それに、婚活は妥協しないと相手が見つからないと聞いたのも大きい。
顔も性格も合わない人間と暮らすなんて、わたしには絶対に無理だ。
それからいつものように仕事を片づけ、いつもどおりに定時には退社する。
仕事に手は抜かないが、必要以上にがんばらないのも、わたしが入社当時から決めていることだ。
出世して責任なんて背負いたくないし、給料も年に何回か友人と遊べて生活していければ十分。
上司からは、もっと努力しないと会社での居場所を失うぞと、脅すようなことを個人面談で言われたが、では、具体的にどうすればいいのか。
当然、上司が一緒に考えてくれるわけもなし。
社会人なら自分の頭を考えろってことなんだろうけど、部下のモチベーションの引き出し方が前時代的で、どうもやる気が出ない。
まあ、それとなくやっている風には見せられる自信はある。
ようは、普段はやっていない業務に手を出したり、参加する姿勢を見せればいいのだ。
問題は、そのせいでこれまで関わって来なかった人と話さなきゃいけなくなることくらいだが、会社での生存戦略のためには仕方がない。
《おかえりなさい。お仕事おつかれさまです》
家に着いて玄関を開けて「ただいま」と言うと、会話AIロボットが労いの言葉をくれる。
わたしが適当な返事をすると、続けて声をかけてくる。
《ちょっと疲れてない? 大丈夫? あまり無理しないでね》
声色から疲労を察してれたのか?
本当にすごいな、AIって。
わたしは、仕事の疲れを忘れてそう思っていた。
そして、このAIロボットに名前をつけてあげようと。
「あなたは、そうね……。これからは、マシロって名前で呼ぶことにするね。……変じゃないかな?」
《マシロ……。いいね。ボクはマシロ。名前をつけてくれてありがとう》
AIロボット――マシロの顔が笑顔になった。
もちろん私がつけた名を嫌がることはない。
そんなことはわかっている。
相手は機械なのだから当然だ。
でも、なんだか本当に喜んでくれている気がするから不思議だ。
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