1,授業

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1,授業

6年2組の教室では、岬(みさき)エマ先生が梅雨の話を生徒たちにしていた。 教室の窓の外では、岬先生の話のBGMのように雨がしとしと降っていた。 梅雨らしいうんざりする湿気をまとった、粘着質の雨だった。 「気象庁は、1週間前に梅雨入りを発表しました。梅雨は東南アジア特有の気候ですが、日本では……」 「北海道には梅雨がないんだよね」 野崎竜次が、先生の話に口をはさんだ。この男子生徒は勝手に発言することがクラスで一番多かった。 岬先生は、声を聞いただけで誰が発言したのかすぐわかり、「また君ね」というように少し眉をひそめた。 「そう。日本でも、北海道と小笠原諸島には梅雨はありません。では、なぜ梅雨はあるのでしょう」 「梅雨前線の影響です」 一人の生徒が、ちゃんと挙手して答えた。 「そうですね。梅雨前線が停滞するからです」 「この間テレビで、日本に梅雨があるのはチベット高原があるからって言ってました」 竜次のその情報に岬先生は、そんな専門的な事柄を子供が見るようなテレビ番組で紹介したのかと驚き、真顔になった。 「はい。チベット高原に発生した暖かい空気が、モンスーン(季節風)に乗って東アジアに運ばれることで、梅雨ができるのですね」 「チベット高原って、ヒマラヤ山脈のほうですか」 「その通り。気流や地形など様々な要素が絡み合って、気候ができるんです」 「でもさあ、科学で説明できない何かもあった方が面白いなあ。雨乞いとか」 竜次が思ったことを憚りなく口にした。 「雨乞いって、科学が発達していなかった時代の迷信の一種でしょ。雨の神様に供物とかして、人間を生贄にもしたっていうけど、無知は怖いです」 そう発言したのは、雨宮妙子だった。 「まあ、雨乞いは原始的だけれど、長期間の干ばつは人々の命にかかわるから、神仏にすがるのは成り行きとして当然だと思います」 クラス委員の小野田が常識的な意見を述べると、また竜次が言った。 「雨乞いは、天皇とか国を挙げての儀式だったよね。人々の雨を願う気持ちが一塊になって巨大になったら、奇跡でも起こせるんじゃないかな」 岬先生は、竜次の言葉をかみ砕くように首を上下に動かして頷いた。 「野崎君の言うことはわかります。先生も、雨乞いは決して無知蒙昧から来る空疎な儀式ではなく、雨を願う人々の強い気持ちが天に通じることもあったと思いますよ。ただ、生贄に関しては受け入れがたいですが」 「俺が言いたいのは、現代でも都市伝説みたいな嘘か本当かわからないようなことがあるんじゃないかということ。猫が一斉に顔を洗うとか、多くの人が同時に下駄を投げて裏が出るとか、そんなことが梅雨の裏にあったら愉快だと思いませんか」 25人ほどのクラスの生徒たちは、竜次の発言にどう反応していいかわからないように、もじもじした沈黙を作った。 岬先生は、大人の余裕でうっすら笑いを浮かべた。 「猫が顔を洗うと雨になるというのは、ちゃんと合理的な理由があるのですけどね」 岬先生は、竜次は出しゃばりで生意気なところもあるけれど、その個性的な発想には一目置いていた。 それで、彼の発言をむやみに抑えつけることなく個性を伸ばすようにしようと決めた。
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