1話

1/10
前へ
/98ページ
次へ

1話

私が小学校5年生の時に、父の浮気が原因で両親は離婚した。 私は、母について行き、母は女で一つで私を育てる為、昼と夜働いていた。 昼間はスーパーでのパート、夜はスナックで働いて生計を立てていた。 私が中学3年生になったばかりの頃、母は再婚した。 相手の人は、自分で法律事務所をやってる弁護士さんで、44歳だと聞いた。母の4つ上で、名前は栗原 瑛治、この人も再婚で20歳の息子が居るらしい。その息子とは別々に暮らして居るが、一応私の義兄になる。 再婚してからは、母は栗原 純子になり私は栗原 千秋になった。ちなみに、義兄は栗原 拓海である。 初めは母の再婚には抵抗はあったが、生活していく上で、母の大変さをずっと見て来ていたので、私は母の事を思い、母の決めた事ならと最後は賛成した。 出会いは、母が働くスナックの客で、色々と親身に相談に乗ってくれたらしい。義父は息子の拓海の事で、かなり苦労したらしい。まぁ世間で言う不良少年で、高校へも行かず、暴走族をやってたらしく、警察に呼ばれる事など日常茶飯事だったらしい。18歳過ぎてからは急に働くようになって、今に至ってるらしい。 義兄の拓海とは、再婚が決まってから顔合せと言う事で1度会ったが、それ以来は会っていない。印象としては、物静かで何を考えてるのか分からない人、目が鋭く怖いイメージ、そんな印象だった。義兄は普段、建築系の職人の仕事をしていると言う話だった。私達3人が暮らす家に来たのは見た事が無いが、外で義父とは会っているのかもしれない。 新生活が始まって1年が経ち、私は見事第一希望高に受かり、高校生になった。義父の事はなんて呼べばいいか分からず、「あのう」とか「すいません」と言う感じで話し掛け、お義父さんとは呼んではいなかった。会話は基本、敬語だった。母はお義父さんと呼びなさいとか、敬語はおかしいよなどと言っていたが、義父は呼び方なんて何でもいいよ、好きな様に呼べばいいし、敬語でもタメ口でも話しやすいようにすればいいと言っていた。 私の中ではぎくしゃくしていたが、生活していく上では問題なく行っていた。 そして、高校入ってから初めての夏休みも終わり、9月に入ってしばらくした頃、突然母が死んだ。脳梗塞だった。 私は、母が死んだ事で独りぼっちになった。厳密には義父と義兄は書面上では親兄弟なのだが、血の繋がりの無いこの二人を家族とは呼べなかった。 母の死を境に私と義父、二人だけの生活が始まったのだった。
/98ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加