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辰彦
男は名を辰彦といった。貧しい村の貧しい家に産まれ、八つの年に両親と妹を洪水で亡くしてからはひとりで生きてきた。痩せ細った土地と今にも壊れそうな家だけが残され、その日一日を生き残るのが精一杯といった毎日だったが、辰彦は一日、また一日と生き長らえた。しかし満足に食べることすらできていない細い腕と体で土地を耕しても、実るのは僅かばかりの野菜や米だけ。どれだけ頑張ったとて無駄だと突き放してくるような現実に、辰彦は心すらも削られていく。
村のほとんど全てが同じように貧しく自分たちの畑に手一杯だったため、辰彦に同情を寄せながらもほとんど手助けもできずにいた。
辰彦もそんな事情は分かっていたが、それでも自分の畑だけが枯れていく様子を目の当たりにすると、やるせなさと妬みから周囲に敵意の籠もった目を向けてしまうのだった。
『おれの畑だけが上手くいかないのは、あいつらがおれの畑に毒を撒いているからだ。父さんも母さんも妹も、誰も助けてくれなかった。ぜんぶ、あいつらのせいだ』
年々そんな妄想に取り憑かれていくようになる。理不尽だと分かってはいたが、それよりも理不尽な現実を受け入れられなかった。現実から妄想に逃げ、やがてそれが辰彦の中で現実となっていった。
それでも辰彦が村に住み続けた理由はただひとつ。華夜がいたからだった。
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