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あんなに騒がしかった廊下からは一転。
静かな図書室に、異様に脈が早くなるのを感じる。
「すいません、突然お願いしてしまって」
そう声をかけられ、我に帰り首を横に振った。
「この本を準備室に運んで欲しいんです。後で手直ししようと思って」
「そう、なんですね。…あの、先生」
出会ってそうそう、こんなことを言ってよいのかわからないけれど、でも今を逃したらいけない気がする。
「どうしました?」
変わらず柔らかい笑顔を浮かべた彼が、その優しい鳶色の瞳に私を写す。
「…覚えていますか、私のこと」
もしかしたら人違いかも知れない、とも思わなかったわけではない。
けれど、きっと、いや恐らく
少しの沈黙と、戸惑ったような彼の瞳が小さく揺れた後、低くしっとりと声が漏れた。
その途端、止まっていた時が動き出したかのように、静まり返っていた室内に外からのセミの鳴き声や生徒たちの賑やかな声が流れ込んでくる。
「…久しぶりだね、…聖也くん」
十年以上の時間が立っているのに、まだ名前呼びは馴れ馴れしいだろうか。
「…久しぶり、明桜」
反応が怖くて下を向けば、昔と変わらないその呼び方に心が震える感覚に襲われた。
だからだろうか、意思とは反して涙が頬を伝ったのは。
歪む視界で聖也くんの驚く表情が写り申し訳なくなるけれど、それでも止められないのだから困ったものだ。
「っ、…、元気だった?」
「元気だったよ。…明桜」
昔と変わらない優しい名前の呼び方で、昔とは違う大きな掌で頭を撫でれると、困ったように笑った。
「今は業務中だから、後でゆっくり話そう」
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