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【間話】君が幸せなら
皇鬼は志乃との思い出を噛み締めていた。アイスを食べた、ただそれだけのことだが、皇鬼には宝物のように大切な出来事だった。
そんな心ここに在らずな皇鬼を現実に引き戻す者がいた。堀内貴臣である。
「皇鬼様! 書類が山積みですよ! ああ、ここから崩れて……ああ!」
「静かにしろよ……」
「これのどこが静かにしていられるのですか? 早く仕事をこなしてもらわなければ、私にお咎めが降り掛かってくるのですよ? さあ、早く! さあ!」
「……空気のくの字も読めねぇやつだな」
皇鬼は渋々執務室の机に座る。そして、渋々書類業務をこなした。みるみるうちに書類の山が丘になり、平になった。皇鬼はやらないだけで、やれば出来る男なのだ。
そして、書類が全て片付いた。
「素晴らしい! さすが皇鬼様! やれば出来る男!」
「いや、お前に褒められても嬉しくない」
おいおいと泣く貴臣。鬱陶しそうにその様子を見る皇鬼。その空間にノック音が響き渡る。すっと立ち直る貴臣。
「失礼します」
入ってきたのは朧の会の手の者だった。皇鬼が嫌そうな顔をする。
「まだ解散していなかったのか。俺は何度も言ったはずだ、消えろと」
「そう言われましても、私、下っ端の下っ端でして……」
「要件は何だ」
貴臣がキッと睨んでその男はおののいたが、すぐに立ち直り、封に入った書類を差し出してきた。
「また、ですか……」
「渡せと言われたもので……渡さない限り私も帰れないので……出来れば受け取るだけ受け取ってもらえれば……」
「要らん」
「そ、そこをなんとか……」
「はぁ、仕方がないですね、受け取るだけ受け取りましょう」
男は貴臣に書類を渡すと直ぐに帰って行った。
「ほんとに、渡すだけ渡して帰っていきましたね……」
「はぁ……また女を寄越してくるんだろ」
「面倒臭いですね……」
皇鬼はため息を着くと、何かを思い立ったかのように立ち上がった。
「……? どこかに行かれるのですか? では護衛をつけてくださいー!」
「要らん」
「あっ! あっー!」
皇鬼は影の中に溶け込んで消えた。目の前で逃がしてしまった貴臣は悶えた。
***
子供の姿になって公園に行く。公園はカップルだらけでここに来たのは間違いだったかとも思った。
しかし、その中で1人、蹲る女がいた。志乃だった。皇鬼は走って志乃の元に駆け寄る。
(泣いている。志乃が、俺の大切な志乃が)
溢れそうになる妖気を押さえ込んで、志乃に声をかけた。
「志乃、大丈夫?」
すると、志乃はパッと振り返った。アメジストの瞳から溢れ落ちる綺麗な雫。志乃の口が動く。
「ぐすっ、綾……?」
「うん、綾だよ、久しぶりだね」
そういえば綾と名乗ったのだったなと思いながら、志乃をベンチまで移動させた。志乃は皇鬼に会ったことで安心したのか直ぐに泣き止んだ。そして、手探りで鞄を探り出す。取り出したのは入れ物に入ったサンドイッチだった。袋に入った何やら甘い匂いのものも取り出す。
「……それ、自分で作ったの?」
皇鬼は単純な興味で聞いた。志乃は少し驚いた顔で皇鬼のことを見る。
「……食べる?」
「うん!」
皇鬼は自分でもびっくりするようなはしゃいだ声で答えた。
「美味しい……!」
「ふふ、良かったぁ」
皇鬼はほんのり甘く、ふわふわなパウンドケーキに舌鼓を打った。そして、肝心なことを聞く。
「なんで、泣いてたの?」
「…………綾に分かるかなぁ」
志乃は言い渋った。皇鬼が子どもの姿をしているから。それを忘れさせるくらい力強い言葉をかける。
「分かる。だから言って」
「……夢で出てくる人の事を思い出せなくて、苦しくて。夢にね、千年桜が出てくるの。いっつも私のこと急かして、だから聞いてたの直接」
(嗚呼、君なりに俺のことを思い出そうとしてくれているんだな……でも、それが生きる枷となっている)
皇鬼は少し間を開けて、答えた。
「……志乃は今は幸せ? 毎日が楽しい?」
「え……?」
志乃は思ってもみなかったであろう質問を受けて、驚く。そして、志乃は今までで1番輝かしい笑顔を見せて言った。
「うん、幸せだよ! みんな優しくて、大切な人達なんだ。毎日楽しい!」
皇鬼はその答えに嬉しい反面、寂しさを感じた。
「なら、何も心配はないよ」
「どうして?」
「今を精一杯生きればいいんだ。君はそんなことで悩まなくていいよ」
(俺の事で苦しくなるなら、俺のことは思い出さなくてもいい、君が幸せなら、俺はそれでいいんだ)
「……綾って、たまに達観してるよね」
「そう?」
「うん、でもね、私の大切な人達の中には綾も入ってるよ! 私は綾の事、大好きだからね!」
皇鬼は志乃の大切な人の中に自分がいる事をとても嬉しく思った。そして、美味しかったパウンドケーキを袋ごと掴んだ。
「これは貰っていくよ! 相談料かな」
「あ、待って!」
「ふふ、じゃあね、志乃」
皇鬼は涙が零れそうになるのを必死にこらえて、その場を去った。
皇鬼別邸に戻ると、一目散に寝室に向かった。寝室にあるアメジストのような紫色の宝石の耳飾りが入った入れ物を抱きしめた。
「君が、君が今を楽しく、幸せに生きているのなら、俺はもう要らない…………大好きだよ」
誰にも見せない顔。朧姫にも見せたことの無い顔。皇鬼の頬は涙に濡れていた。
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