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「ちょおっと待った!」  ティノが声をあげて、わたしの話をさえぎった。  わたしたちは同じ目的地をめざし、ふたり並んで森の中を進んでいる。  わたしの目には、どちらを向いても同じ風景にしか見えない木立だったが、村で育ったティノの目には別の風景として映っているらしい。  少年が道案内とひきかえに出してきた要求は、勇者さまの話をはじめから聞かせてほしいということだった。  わたしはうなずいたが、そんなに気乗りがするわけでもなかった。  少年が期待するものとはかなり異なってしまう気がしたからだ。 「剣士さまがそんなふうに言うはずないよ。そこはこうでしょ。おお、早まってはなりません、麗しの姫君たちよ……」 「それこそ、そんなふうに言うはずないじゃないの、あの人が」  案の定の指摘に、わたしはうんざりしながら答えた。 「こんなに最初から止められてたら続きが話せないわ。このあとは、もっともっとちがってくるでしょうから」 「そんなあ」  森の中の道なき道は、いまのところゆるい傾斜を保っていて、わたしでもさして苦労せずに歩いていけるほどだった。  気が急いているということもあるが、ブーツにしっかりとバックルで留めた木の底が、ぬかるみを歩く役に立った。  雪解け水で重くしめった枯れ葉の層は、踏みしめると沈み込んで、すぐに足をとられてしまう。  農夫おすすめの木底は、ティノのブーツにもちゃんと用意されていた。  季節が進みもっと緑が濃くなってくれば、ぬかるみはへるかもしれないが、かわりにほかの存在が歩みを乱しにくるだろう。  厄介な昆虫、気の荒い森のけだもの。生い茂るシダやツタ、イラクサ。  動いているうちに気にならなくなる寒さなど、それらにくらべればたいした障害ではない。  何よりひとりではないという安心感が、わたしの足どりを軽いものにしていた。 「あのね、ティノ。おせっかいかもしれないけれど」  わたしは行く手をさえぎっている倒木をまたぎながら──ドレスではまずできない動作のひとつだ──少年に話しかけた。 「これ以上、聞かないほうがいいんじゃないかしら。がっかりして、うまく歌えなくなってしまったら困るもの」 「……エセル、ほんとにお姫さまなの?」  少し前にも訊いた質問を、少年がまた投げかけてくる。 「ティノ、もっと大きくなったら都に行って、ほんとに吟遊詩人になるつもりなんだ。それで自分が知ってるいろんなことを、みんな歌にするの。いい加減なこと教えてると、エセルこそあとで困るかもよ? いいの?」  わたしはため息をついて足をとめた。  別に信じてもらえなくてもかまわないのだが、疑いながら話を聞くのでは、この子も落ち着かないだろう。  残念ながら身分を示す紋章などは、まったく持ち合わせていなかった。  ただ、唯一納得してくれそうな品が胸元にかくされている。  わたしはチュニックの衿から、その品を引っぱり出すと、指先で鎖をつまんでぶらさげてみせた。 「証拠になるかどうかはわからないけれど……」  それは肌身離さず身につけている首飾りだった。  銀の鎖を通した留め具には、首飾りにしては少し大きすぎる、ひらたい水晶が留まっている。  水晶に似ているだけで、本当は何か別のものであるにちがいないけれど。 「これって……」  食い入るようにみつめながら、ティノが呟いた。  わたしの声も、少年の驚きにあわせるようにかすかにふるえた。 「魔法剣のかけらよ」 「どうして……」 「剣が砕け散ったから。それをわたしが拾ったから」  最後の闘いで砕けてしまった魔法の(つるぎ)。  その剣の、これは破片。  透きとおったひらたいかけらの中心部分で、虹色の炎が細く小さく揺れている。  目の錯覚ではない。両手に包みこんで暗くしてみると、ゆらめきがたしかな炎であることが見てとれるのだから。  ラキスの捜索で兵たちと川べりまで来た日に、わたしはこれをみつけたのだった。  城で待っていることができず捜索に加わろうとして、けれど水に近づくことは止められて、しかたなく岸辺を歩き回っているときに。  枯れ草にかくれた石と石の間で、それは小さな蛍火のように自分の力でまたたいていた。  かがみこんで拾い上げると、応えるように炎が揺れた。 「きれい……」  ティノがささやいた。そしてわたしも。 「そうね。とても」  わたしたちは、それほど長い時間それに見とれていたわけではない。  道のりは長く、しかもまだ始まったばかりだったからだ。  なだらかに続く林床(りんしょう)も、この先は急な坂道になっていくだろう。  大きく樹皮が割れた古いカエデの大木を、ティノが軽くなでながら通りすぎた。  目印となる木や岩があるらしく、ときおり確認しながら歩いている。  わたしの胸元におさめられた炎のかけらを目にしたことで、少年は満足し、とりあえず疑念を払いのけたらしい。 「続き、聞かせて」  小さな案内人が、わたしに笑顔を向けてきた。 「いいわよ」  わたしもほほえむ。 「どこまで話したかしら。はじめて出会ったところまでね。──なんだ、死ぬところか」  そう言った。  いかにもつまらなそうな口調で。軽蔑の響きさえ感じとれる声で。 「化け物になるくらいなら死んだほうがましだって? まあ、死にたいなら別に止めやしないけどね」 「……誰かは知らぬが、おさがりなさい」  膝元に落ちていた懐剣を拾い直しながら、姉姫が我に返って言葉を投げた。 「名乗りもせずに無礼でしょう。しかも窓から」 「そんなこと言ってる場合じゃないと思うが」  そのとおり、またも扉が激しく揺れた。  揺れはおさまらず、大きなもののぶつかる音が断続的に聞こえてくる。  わたしは室内を振り向き、無礼な若者のほうに再び視線を返しながら叫んだ。 「死にたいわけじゃないわ。生きていたい。でもどうしようもないじゃないの。ほかにどんな手だてがあって?」 「生きたいの?」  問い返してくる若者の瞳の中に、小さな輝きが宿った。  彼は天馬を窓ぎわまで近づけると、いとも気軽な動作で窓辺に飛び移り、わたしの横に降り立ってきた。 それから、窓辺におかれた長椅子の上に、背中にしょっている背嚢を投げおろしながら、やはり気軽な態度のまま言った。 「じゃあ、開けな」 「え?」  荷物のことをさしたのかと思ったが、彼の目は、不気味に軋み続ける扉のほうを向いていた。 「扉を開けなよ。そのほうが手っ取り早い」  まさか……あの扉だけが唯一の支えだというのに。  わたしは信じられない思いで、目の前の若者をみつめた。  風に乱された前髪が落ちかかる下の顔立ちは、意外なくらい繊細なつくりをしていた。  だが、はしばみ色のその瞳に、動揺や恐怖はみじんも見当たらない。  きわめて細身の体つきだったが、敏捷な野生の獣のような力強さを感じさせる。 「早く」  短い言葉で彼がうながした。わたしは心を決めた。  この部屋でただひとり、冷静そのものの人物の指示だ。従うしかない、遅かれ早かれ扉は壊れてしまうのだから。  いくつもの制止の声があがる中、わたしは小走りに扉に近づき、鉄の閂をはずした。  それから取っ手に手をかけようとしたが、その必要がない勢いで扉が開いたため、圧力で思い切り壁に身体を打ちつけた。  直立した化け物が入ってくることを覚悟したが、押し入ってきた魔物の姿勢は四つん這いだった。  盛り上がった大きな背中が、うねるようにぶよぶよと波立つ。もはや人の輪郭はどこにもなく、魔物にふさわしい奇声を発しながら、四つ足で部屋の中央に突進していく。  わたしは凍りついた。真正面に若者が立っていたからだ。  直撃される!  そう思った瞬間に、彼が大きく一歩踏み出した。  と同時に、目もくらむほどの輝きが、彼の腰のあたりからほとばしった。  剣だった。  抜いた勢いのまま横に薙ぎ払うと、白光が爆発的にふくれあがって魔物の全身を包みこみ、わたしたちの視界を覆いつくした。  何が起きたのかをすぐに理解できた者は、誰もいなかっただろう。  長くつらい闇の時間を過ごしたわたしたちの目に、光はあまりにも眩しすぎたのだ。  ひとつの知識がようやく浮かび上がってきたのは、視力が戻り、魔物の姿が跡かたもなく消えているのを確認し、さらにしばらくたってからのことだ。  炎にして光。光にして炎。  剣の先からほとばしり出て、穢れた空間を祓い清めながら燃えさかる、熱をもたない聖なる魔法。  魔法炎という簡単きわまりない呼び名を与えられているのは、それ以外なんとも呼びようがなかったからなのだ。  目の当たりにしてはじめて、それがわかった。  想像をはるかに超えたその光景を、どう表現すればいいだろう。  刀身からあふれ出てきた光の帯。白銀のきらめき。  そして塔の中でそれを放った、ひとりの剣士。
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