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6
剣士と再び言葉をかわすのは、まる一日過ぎたその日の夜半のことになる。
一太刀で魔物を吹き飛ばした彼は、まだ白光が残る戸口からあっというまに走り出ていってしまい、声をかける暇もなかったのだ。
わたしたちはその後、駆けあがってきた側近たちに助け出され、介抱されながら居室までなんとか戻っていった。文字通りの命拾いだ。
ただ危険が去ったわけではなく、さらに強固な扉をそなえた一室に導かれて、そこから一歩も出てはならない身分となった。
最初は側近も侍女もすべていっしょに閉じこもっていたが、陽が高くなってしばらくしたあたりから、少数のものが水や食事を運ぶために出入りしはじめた。
夕方近くになると出入りはさらに大胆になったが、姫たちの外出許可は当分先のようだった。
その間、剣士のほうが何をしていたかというと、城内を動き回って大変多忙だったらしい。
まず南の塔から居住区に走りこみ、あらわれる魔物たちを神業のごとき勢いで薙ぎ倒し──目撃した者の表現によれば──その後、兵舎から駆けつけていた討伐隊と合流して、魔物本体を追いつめた。
勇者さまの出現に恐れをなした魔物は──これは別の目撃者の表現だ──城から逃走し、庭園北の外壁側に位置する北の塔まで走ると、塔の中に逃げ込んだ。
兵たちは勇者さまの指示のもと、扉を外から封鎖して魔物を内部に閉じ込めた。
つまり、インキュバス本体はいまだ塔の中で生きている。闘いは残念ながら終わっていない。
インキュバスという名の魔物がいつどこで生まれるのか、どんなふうに育つのか。
レントリアには多くの魔物が棲んでいたが、中でもインキュバスはもっとも忌わしく、もっとも手強く、もっとも謎に満ちた存在のひとつだった。
まず幼生体があり、一定の期間を経て繭をつくる。
やがて繭を食い破って成体が姿をあらわす。
幼生体の姿の片鱗を残しつつも、成体の身体は大きな変貌を遂げている。
体表は青灰色の粘液におおわれ、泥沼のごとくうごめき波立ち、そしてその波が持ち上がるようにして触手が伸びる。
数え切れないほど大量の触手が。
繭? 成体? 蛾のことだろうか。触手って何?
魔物についての知識を姫たちに教えこもうとしていた家庭教師は、実際に見てきたかのようなもっともらしい顔つきで、説明したものだ。
触手というのは、腕のかわりに動かして餌を捕ることができる器官です。
インキュバスの触手は、全身のあらゆるところから噴き出してくる糸の束のようなもので、餌を捕獲し、自分の体表から体内へと取り込みます。
取り込むごとに自分自身が成長し、巨大化していくのです。
そして遠すぎて取り込めなかった獲物については、逆に触手を獲物の体内に食い込ませ、強力な呪力で自分の僕へと変態させます。
僕ってなんのこと?
僕というのは、この場合、獲物をとらえて本体のそばまで運んでくる役目を担う生き物のことです。
僕自身が力をたくわえて、次なる触手を放つ存在に変わることもありますが、そこまでの呪力が伝わらなかった僕は、本体が浄化されれば、もとの姿を取り戻すことができます。
浄化とはどのように?
姉姫が青ざめながらたずねると、教師は自分の手柄のように胸を張った。
魔法炎で、たやすく。
たとえレントリアの都が魔物に襲われても、魔法の炎を操る使い手が必ずお城をお守りしますよ。
ご安心ください、姫さまがた。
そう言った教師は、もちろんその目で魔物を見たことなどなかったし、聞いているわたしたちも、まさか自分自身の目で確かめる日が来るとは思いもしなかった。
炎の使い手なるものが城に常駐していないことなど、気にとめたことすらなかった。
それなのに……どうしてこんなことになってしまったのだろう。
僕たちが階下から上がってきたということは、僕を操る本体が下にいて、上を狙っているということだ。堅牢を誇るレントリアの王城の、よりにもよってその内部に魔物が現れるなんて。
こんなに短い時間で、やすやすと城を蹂躙するなんて。
考えれば考えるほど恐ろしさがつのる一方だったので、姫君や侍女たちは、気をまぎらわすためのおしゃべりを熱心に続けて過ごした。
話題になるのはもちろん、はじめて目にした魔法炎のすばらしさと、魔法剣を抜き放った剣士さまの雄姿についてだ。
「ラキスさまとおっしゃるのですって」
いち早く名前を入手した二番目の姉姫が、うっとりしながら呟いた。
もともとその手の情報を得るのが得意な姫で、手腕はこんな場面ではなく、舞踏会において存分に発揮されるはずだった。
勇者さまが名乗りもあげず、しかも何やら不適当な発言をして窓から侵入した件は、はやばやと忘れ去られていた。
少しでも楽しい話題がほしかったのだ。
一番上の姉姫は、身につけている懐剣を取り出して、ときどきじっと眺めていた。
自分がとった行動と皆にとらせようとした行動について、思うところがあったのだろう。
ただ口に出して明らかに悩んでいたのは、いったい勇者さまになんとお詫び申し上げればいいのだろうかということだった。
面と向かっておさがりだの無礼だのと言い切ってしまったため、こちらの悩みもかなり深かったらしい。
そんな中で末姫のわたしだけが、魔法炎とも剣士ともまったく関係ない質問を姉たちに投げかけては、おしゃべりに水を差していた。
「魔物のひたいには角があったわよね?」
「さあ、どうだったかしら。よく見ていなかったわ」
「その角の先が、二股に分かれていなかった?」
「おやめなさい、エセルシータ。思い出してしまうじゃないの。一生懸命忘れようとしているのに」
「ごめんなさい……では、メイナがどこに行ったのかご存知ない? お昼すぎから姿が見えないのよ」
メイナというのはわたし付きの侍女で、最近ようやく見習いから昇格したばかりの女の子だった。
それも、わたし付きでなければまず昇格もできないような風変わりな子だ。
城の決まりごとや作法がなかなか身につかないし、好奇心が強すぎていつもキョロキョロしているし、王族より厩舎の馬のほうに興味を示しては侍女仲間にあきれられている。
つまり、もしわたしが城下に生まれていたら、こんなふうだったかもしれないと思わせるような子であり、主従で気が合ったのも当然のことだった。
そんな彼女が、昼ごろに部屋を出て行ってから一度も戻ってこないことを、わたしはずっと気にしていた。
けれど日頃の行いから判断して、姉たちの返事は残念ながらそっけないものだった。
「馬たちの無事でも確認しに行ったんじゃなくて?」
「こんなときくらいおとなしくしていればいいのに、いつもと変わらないなんて困った子ね」
厩舎なんかに行けるはずはない、ここからはかなり離れているのだから。
でも本当にそこに行ったのなら、それでもいいのだ。
そうではなくて、もしもあの子がわたしと同じことを考えているとしたら。
同じように悩んで、思いつめてしまったとしたら。
寝室を襲った魔物のひたいにあったもの。突き出た一本の太い角が、途中で二股に枝分かれしている。
あれとそっくりなものを、わたしもメイナもたしかに知っていた。
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