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刻を同じくして、奈良の東大寺。
華厳宗の大本山である。
現在の宗教団体数は121と衰えたものの、740年に日本に伝来し、古い歴史を持つ宗派の1つ。
経典は華厳経で、本尊である東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)は、日本を代表する文化遺産である。
その東大寺が、文化庁宗務課(東京都千代田区霞が関)の主催する、仏教定例会の場となった。
境内の本坊にある100畳の大広間に、7万5千を超える仏教宗派から、主立った85の宗教法人の党首が集まっていた。
さすがは仏教界。
これだけの人数でも、正座した面々に私語はない。
「皆様、大変ご苦労様でございます。文化庁長官を務めております、花山 武政と申します」
頭を軽く下げると、無言で一斉に下げ返す会場。
ある意味、圧巻の光景である。
「今回はこの奈良の東大寺にて開催となり、関係者の方々には、厚く御礼申し上げます」
文化庁宗務課と言えど、全国の多種多様な宗教を、取りまとめて管理などできるはずはない。
毎年、宗教統計調査を行い、12月末日時点で統計を取りまとめて公開するに過ぎない。
未だインターネットによる自動化が導入できない為、それだけでも大変な作業である。
逆に言えば、インターネットで繋がれない世界。
秘密主義がまかり通る、表裏共存の社会である。
開催場所となった側は、裏情報を元に、或いは意図的に、各宗派の座位置を決める。
その苦労に対する、労いの言葉である。
「時間より少し早いですが、皆さんお揃いの様ですので、始めさせて頂きます。まずはこの会場を提供頂いた、東大寺の吉田 北西住職より、ご挨拶を賜りたく、お願いします」
この場に於いて、華厳宗(けごんしゅう)の立場には、厳しいものがある。
無難で短めの挨拶をして、直ぐに下がる吉田。
その後は、予め式次第に書かれた順に、毎回異なる宗派が、公開でき得る活動報告を行う。
その片隅で。
「皆んな、予定通りの担当宗派を、シッカリ感じ取ってください。特に最近は、真言宗高野山派と浄土宗、浄土真宗、そして天台宗には要注意を」
「はい、分かっています。しかし、録画も録音も御法度とは、今どき古いですね」
「古く変わらぬものにこそ、真の心があるものですよ。あなた達は、その訓練を受けた優秀な調査員です。頼みますよ」
東京都内で起きている、天台宗派の火災には、仏教絡みの闘争の気配を感じていた花山。
彼の兄は、警視総監の花山 武道。
直々に、目を光らせる様に言付かっていた。
幾つかの報告が、問題なく進んだ。
「では次に、真言宗智山派、総本山智積院の神崎 貞生大僧正、お願いします」
小柄だが、正義感を身に纏った様な貫禄。
真理の片想いの相手、神崎 鶴城の父である。
その瞬間、高野山真言宗はもとより、同じ新義真言宗と呼ばれる真言宗豊山派と、浄土真宗本願寺派の視線が厳しくなるのを感じた。
「まずもって、ここ数日で東の天台宗派の寺社が三箇所、付け火により災難に遭われたこと、この場を借りて、大変に残念に思う気持ちを伝え、早期復興をお祈り申し上げます」
誰も敢えて触れなかった事件。
話の冒頭にそれを述べた。
「花山さん、確か…事故か犯罪かは、公表していないはずでは?」
驚いた調査員である部下が、小声で確認する。
「彼の長男は、警視庁刑事課の刑事です。私もこの集会を知った警視総監の兄から、敢えてその情報を告げられました。恐らくはここで探れとの意図。まさか堂々と言い放つとは…神崎貞生、大した人物です」
言うまでもなく、ここでの情報を、他にも漏らす様な愚か者は、今この座にはいない。
それを見越し、仏教界と言う贈賄と隠滅の池に、小石を投げ込んだのである。
「少し、いいかね?」
神崎の報告が終わると、浄土真宗本願寺派の当主で住職の浄土門主、枚方 朔也が手を挙げた。
真理の幼馴染、枚方陽平の父である。
「少し棘のある問いにはなるが…天台宗と真言宗は、誰もが知る対立宗派。いくら新義真言宗とは言え、古来からの高野山真言宗には従わぬ…そう受け取って良いのですかな?」
その一瞬で、張り詰める緊張感。
枚方の目を、平然と当たり前の様に見返す神崎。
口を開く前に、別の声が割り込んだ。
「まぁまぁ、今は戦国の世ではない。確かに、志しと教えに多少の違いはあれど、それは皆も同じこと。枚方様、抜きかけた刃は、鞘にお戻しくだされ」
高野山真言宗 座主の大僧正、久我山 宗守である。
浄土真宗の枚方の強気は、仏教界の宗教法人として、最大の組織であることから来ている。
更にそこへ。
「久我山様の言う通り、ここに集うは皆、仏教に身を捧げた者の長。同じ仏教の宗派として、残念な火災事故については、同じ思いではござらんか?」
浄土真宗 本願寺派に次ぐ大規模な宗教法人で、三大禅宗の一つ、曹洞宗本山永平寺の大教生、平賀 永人であった。
その言葉に、ほぼ全ての者が手を合わせ、軽く頭を下げて同意を示した。
前に立つ神崎も同じく。
「くっ…」
渋面をしながらも、枚方が座に戻る。
その一部始終を、当の天台宗天台座主、華僑林 天膳は、黙ってただ手を合わせ、見送っていた。
(さすがは華僑林天膳。気は緩めずして、放ちもせず、ただ我が身に刻むか…)
噂通りの心境の広さと、冷静で安心感を保つ姿。
感心する花山の脳裏に、チラリと兄が浮かんだ。
その後は滞りなく進み、花山が締める。
「皆様お疲れ様でした。たくさんの情報を有難く頂いて、東京へ戻ります。何れの宗派も、やはり近年の国民の宗教離れは、深刻な問題と受け取りました。反勢力的で、倫理を逸脱した教派のテロ事件や詐欺事件の影響だと、警視総監の兄が言っておりました。国としてもこの問題を取り上げ、より良き道を示したく思います。では、皆様お気をつけてお帰りくださいませ」
整然と静かに、全員が立ち止まることもない。
さすがに、異様な雰囲気ではある。
ただ一人。
華僑林天膳のみが、見送る東大寺の吉田住職のもとへと歩み寄った。
「吉田御住職、本日は御苦労様でした」
笑顔の天膳に、驚きを隠せない吉田。
とりあえず軽く頭を下げて受け流す。
花山も気になり、近付いた。
「花山様、警視総監のお兄様には、何度かお会いし、色々と話をした仲でした」
(過去形?)
ふと気になった花山。
「それは知りませんでした。警察官は、神に祈る者ではなく、法のもとに人を導くのが使命。それが例え悪人であったとしても。それが兄の信念だそうです」
「よく出来たお方です。比べるものでも、その尺度さえありませんが、このまとまりのない教えと信仰。更には欲にまで侵された宗教界。そんなものより、誰にも平等で確かなこの国の法律。それに従う警察組織の方が、人々には必要なものだと思います。…ここだけの話ですがね、あはは」
こんな飾り気のない、無邪気にも見える笑み。
先程まで並んで座っていた人物とは…違った。
「お気付きになられた様に、少々厄介なことになっております。また来年もこうして、皆さんが集えることを祈っております」
深く一礼した天膳。
懐から書状らしきものを出した。
「花山様、見る見ないは任せます。でも、必要と思われる時が来たら、必ずお願いいたします」
丁寧に両手で差し出され、両手で受け取った。
一瞬、真剣で悲し気な表情を感じた。
「さて、私ができるのはここまでです。うるさい運転手が待っておりますので、失礼します」
直ぐに笑顔に戻り、いそいそと出て行く天膳。
唖然と見送る花山達であった。
天膳が乗った車。
その後に続く車に、気付くものは無かった。
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