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第2話
さらさらと流れる水面を見ながら、何故ここにつれて来たのかと疑問に思った。
翌日、目覚めてから朝食を摂り、身支度を整え兼親に連れられて来られたのはかっぱ淵であった。木々が川辺を覆い影を作り、河童の彫像が所々に置かれている。吹き抜ける風は涼しげに感じる。
「兼親くんさあ」
「くんって付けられるの苦手だから呼び捨てでいい。元々ときわ呼び捨てだっただろ」
「なんでここ連れて来たの?」
兼親は黒々とした毛に覆われたネコ科の顔の中、光る金の目をこちらに向ける。水辺でしゃがみ込みながら兼親を見上げていた私と視線が交わる。
「ここ、小さい頃うちの親に連れられて蛍見に来ただろ。なんか懐かしいかなって」
「そんなこともあったっけか?」
「ときわ結構薄情だよな。こんな色物忘れてるとか」
「それは誠に失礼を」
「いいけどさ」
ここかっぱおじさんたまに居るの知ってるか? と問われ知らぬと言えば、かっぱ淵の説明をしてくれる色物おじさんだそうだ。今で二代目らしい。
「この釣竿にきゅうり付いてるんだけど」
「あー、これは何故か覚えてる。観光客用の写真の小道具でしょ」
兼親がきゅうりの付いた釣竿を小川の垂らす。このきゅうりもかっぱおじさんが定期的に用意してくれている物なのだろうか。
「蛍ってもう今の時期は居ないよね」
「時期過ぎちまったよもう。俺とときわとちーねえと父ちゃんとで来たんだよ昔」
「私は覚えてないのによく覚えてるね」
「ときわの記憶力馬鹿なだけだろ」
「ひっでえ」
「事実だろ」
兼親がアイスを食いにでも行こう。とここへの道すがらにあった軽食を出してくれる店へと共にゆく。閑散としており客は居ないが、やって行けているのだろうか。
「バニラソフトと、何食べる」
「チョコで」
「はーい、お待ちくださいね」
店員の女性がソフトクリームマシンの前でソフトクリームを作るのを目にし、受け取った後店内に置かれている椅子に座りソフトクリームを口にする。内から冷えていくのが分かり心地よさを感じた。
「ちーねえって今何してんの」
「行方不明。十年以上前から」
「は?」
「連絡取れないし、何処に行ったのかも全然わからない」
「……何かに巻き込まれたんじゃ?」
「警察に届け出した時に、書き置き見て事件性は無さそうだからってそのまま。もう十年くらい居ないとなると、失踪宣言で死亡届も出せるんだけれど、母さんがそれは絶対嫌だって」
「そりゃ嫌だろ」
「……私は何処かで生きているとは思ってるんだけどさ」
「うん」
「……なんつーか、仲そこまで良かったかと言われると普通としか答えられないんだけど、私も失踪宣言は嫌だなって思ってるんだよ。親父はやるならやっちまえって言うんだけどさ。親父は姉ちゃんのこと厭っている訳じゃないんだろうけど、薄情だなとは思う」
父は姉を厭っている様子は見せなかった。だからこそ何故そこまで平然としていられるのか分からなかった。私だって動揺したし、母は体調を崩すし、弟は、どうだっただろうか。
「……俺の兄貴も何処で何してんのか分からねえ時あるけど、でも、やっぱ便りがないってことは生きてるだろうってうちの家族内ではなってるけど、……親父さんか」
兼親は長い舌でべろ、とソフトクリームを掬い食べている。見れば見るほど猫っぽい。ネコ科なのだから当たり前なのだろうが。
無言になりつつコーンまで辿り着きしゃぐしゃぐとコーンを食べる。暑かった体も大分冷えた。近場のおしらさまの方にも行ってみるかと問われ、そうしようかと答えた矢先、スマホが鳴った。通知を見ると母からだった。通話に出ると、母は焦った様な口振りで捲し立てた。
「ときわ! 遠野だよね今!?」
「え? うん」
「ばあちゃんちに居る?」
「いや、兼親くんとかっぱ淵来てる」
「今すぐ遠野病院行って!」
「は? なんで病院?」
「ちあきの……死体、見つかったって」
「え」
「母さんも今から家出るから、先に確認しに行って欲しいの」
「わ、わかった」
「じゃあね! 今から行くから! 後警察からも連絡来るかもしれないからよろしくね!」
ぷつ、と切れた電話にスマホの画面を凝視する。スマホを耳に当てる普通通話だったが、獣人の兼親には聞こえていた様で、今すぐに病院に行こう。と告げられそれに従った。
死体。姉の、死体。
何故この地に居たのだろうか。ひと言くらい言ってから出て行くくらい出来たはずだ。姉が居たなら、私だってこの地に遊びに来ることくらいあっただろう。何故死んだのだろうか。事故死なのか、それとも。
兼親に大丈夫かと問われ、受け入れきれないと答えた。死体が見つかったと聞こえたと言われ、やはり獣人は耳が良いのだろう。
「ちーねえここに居たのか?」
「見かけたこと無かった?」
「無い」
車を運転しながら兼親は心配そうな声色で私に話しかけた。会ったと言っても兼親も姉も幼い頃だ。大人になってから対面したとしてもすぐに気がつく事は容易では無いだろう。いや、もしかすれば匂いなどでわかる可能性もあり得るが。
遠野病院に着き受付で姉の事を聞けば、担当を呼びますので、と少々待たされる。担当であろう女性看護師が来て案内される。地下に続くであろう階段を前にして、兼親はここで待っている。と告げ別れた。地下に降りて行けば夏真っ盛りの外とは違い、何処となく不気味さを感じるひんやりとした空気が身を包む。
一室の前には安置所、とプレートに書かれていた。部屋に入れられると、目の前に顔に布をかけられた人間の、死体があった。本当に死体かなんて分かるはずも無かったが、この部屋に入れられると言うことはそう言うことだ。外で待っている。との看護師の言葉に頷き、看護師が外に出た段階で逡巡したのち、見てはいけないものを見るような後ろめたさを感じながら顔布を取った。
「……姉ちゃん……」
少しばかり、老けただろうか。もう三十四程だった筈だ。私だって老けたのだから当たり前だろう。
姉の顔を見ても泣く事は無かった。けれど何故死んでしまったのだろうと自問するばかりだ。首に、恐らく縄か何かであろう跡があった。それに自殺と言う言葉が頭に浮かんだ。何故姉が死なねばならなかったのか。何故この遠野に身を隠していたのか。誰か、知り合いは居なかったのだろうか。どうして姉が、どうして。
目を閉じた姉の青白い顔を見て、込み上げてくるものはあった。しかし涙になる程では無い。姉が亡くなったと言うのに私は随分と冷血な人間だなと独りごちる。首の縄の跡を撫ぜる。何故、こんな死に方を選んでしまったのか。姉の暮らしていた環境も仕事も何もかも知らない。けれど何故だかこの死に方を選んだ理由が分かるような気がしてしまった。
どれほど姉の姉の顔を見つめていただろう。後ろ髪を引かれる思いで霊安室を出て看護師に着いて階段を上がれば、兼親が心配そうな雰囲気で私を迎えた。
「ちーねえだったのか」
「うん」
「……そうか」
兼親は言葉を選んでいるのか、口を開けたり唸ったりしてたが、悲痛そうな声色でごめんと謝った。
「こう言う時、なんて言ったらいいのか」
「帰ろう」
「……うん」
病院を二人揃って無言で抜け出し、駐車場に停めてあった車に乗り込んだ。
「残念、だったな」
「自殺かな」
「え?」
「首に縄の跡みたいなのが付いてた。何があったんだろうって思うのは簡単だけれど、姉ちゃん、私たちの所から抜け出して、一人になっても辛かったって事なのかな」
「……わかんねーけど」
少なくとも俺には、昔の二人は仲が良い姉妹だった。と兼親が呟いた。車を発進させて大して遠くもない家に辿り着き、兼親と別れた。祖母の家に着けば、警察から連絡があったと祖母が言った。伯父と伯母は仕事に出ている。一人対応したであろう祖母が泣き出しそうな悲痛な顔で姉のことを尋ねた。
「ちあきに会って来たんだべ?」
「うん」
「警察さ行ってこ。息子いだらしいがら」
「子供居たんだ。姉ちゃん」
「十歳の子らしいよ」
私はその言葉にタクシーを手配した。兼親に再び車を出して貰おうかと思ったが、こちらの家庭の事情に巻き込むのも忍びない。タクシーが到着し、警察署まで頼む。十数分ほどタクシーを走らせれば警察署に辿り着く。警察署の受付に行き話を通すと一部屋に案内された。椅子に座り待っていれば、男性警察官と子供、鳥人の子供が部屋に入ってきた。私はそれに少し驚いたが、立ち上がって礼をする。
「こちら、佐々木ちあきさんの息子さんの佐々木柑南くんです」
「かなん……くん。こんにちは、伯母の佐々木ときわです」
「……こんにちは」
何故か柑南の名前の響きに懐かしさを覚えた。むっつりと黙り込んでいる柑南は私をじ、と見上げている。私も柑南を見つめていたが、警察官から手続きの書類など書いていただいても宜しいですか? と問われ慌てて意識を戻して合意する。席に着いて書類について目を通したり説明されたりしながら、警察官の隣に座らされた柑南は大人しくしていた。ここで聞いて良いものかと悩んだが、口を開く。
「申し訳ありません。姉の死因は何なのでしょうか」
「現段階では自殺です。他殺の可能性は低いと思われます」
「……そうですか」
やはり自殺なのか。と飲み込むと腹の底が冷えてくる。どうにもあの姉が自殺する事になったのが受け止め切れない。姉は明るい性格だった。友人も多かった。家族の前から姿を消した理由は、もう分からないのだろうか。私は勝手に私達家族を苦に思ったからそうしたのではと思っていたが、もう全ては闇の中だ。
手続きが済み、柑南を連れて警察署を出た頃には一時間程経っていた。再びタクシーを呼ぼうかと思っていると、お腹が空いたと柑南が呟いた。
「近くのコンビニで何か買おうか」
「はい」
柑南と無言のままコンビニまで歩く。私は彼の手を引こうかと思ったが、確かもう十歳だろう。気恥ずかしさもあるかもしれないし、それに突然伯母だと現れた私の手など取らせるのも申し訳ないと一瞬逡巡したのち、手を引っ込めた。
横顔を盗み見る。見目は猛禽類、鷹の様な鋭い目に嘴を携えている。背丈は普通の十歳児と変わりは無く、手は普通の人間のもの様に見えるが、体毛の羽が全身を包み背中に大きな羽が生えている。飛ぶ事は出来るのだろうか。鳥人は飛ぶ事が出来る人と出来ない人と別れると聞いたことがあるので、どちらかは分からなかった。都会ではたまに見ても、この田舎町では目立つ珍しい人種だろう。人間以外の異種族と言うのは。余計何故兼親を忘れて居たのかが分からない。
コンビニに着き、おにぎりやサンドウィッチ、お茶などを買ってコンビニの前で立ち食いをした。その時ずっと考えていた事を柑南に聞く。
「柑南くんてお父さんいるの?」
「いない」
「そう……」
会話はそれで終了してしまう。確かに父親が居たとすれば引き取りに来ていないか。タクシーを呼び無言の中待っていれば、先程の運転手のタクシーがやって来た。祖母の家まで行き料金を払う。玄関先に行けば祖母が出迎えてくれた。
「あらあ鳥人だわ」
「こんにちは」
「はい、こんにちはあ。うちのご先祖さまにも鳥人一人居たらしいがら先祖返りかな」
「へー、そうだったんだ」
入って入って、と祖母が柑南を家に招き入れる。洗面所に連れて行き手を洗わせ、居間に戻れば祖母が麦茶を入れたグラスと茶菓子を詰めた盆を机に出していた。
「喉渇かねえか? 飲んで」
「すみません、いただきます」
「桃もむぐから待ってけろな」
祖母は冷蔵庫から持ってきただろう桃とボウルと包丁で桃を剥き始める。
柑南をこう、少しばかり観察していて思うのは礼儀正しい子供だと言う事だ。母が居なくなった不安もあるだろうに、それを見せまいとする所はいじらしいものだと思う。
「お名前なんですか?」
「佐々木柑南です」
「かなんくん、こんにちは。ひいばあちゃんです」
「おばあちゃんもその内来るからね」
「……はい」
正座しながらも、むす、としている様な雰囲気を湛えながら柑南は麦茶を飲んでいる。嘴でグラスから飲めるのは随分と器用なものだと思う。慣れとも言うだろうが。
「姉ちゃ、……ちあきお母さんとはずっと遠野に居たの?」
「生まれた頃からいます」
「そっか。学校楽しい?」
「はい」
茶菓子を盆から包装を破り取って口に入れる。姉は何処に放浪するでも無く、この子を産んだ時から遠野に居たのか。何故この地を選んだのだろうか。
姉が亡くなったのならば、引っ越しや転校のことも考えねばならないだろう。療養どころでは無いかもしれない。引き取れるのは父と母以外には居ないだろう。手続きが山程あるだろう事に辟易したが、決まった事にどうこう言っても仕方がない。
伯母が仕事から帰ってきた時には鳥人の子供が家に居る事に驚いて居たが、訳を話すと悲しそうに目を細めた。柑南を見るのを祖母に任せ、台所で伯母と話をする。
「ちーちゃん、そっか、亡くなっちゃったんだね」
「見かけた事無かった?」
もしかすれば見かけた事はあったかもしれないが、長年会っていなかった事もあり、ひと目見ても分からなかったと思う。と伯母が告げた。それは最もだろう。
「あの子、誰の子なんだろうね」
「案外お隣の兄ちゃんだったりしてね」
「でも健介くん確かコンゴウインコの鳥人だった筈だから、柑南くんは多分鷹か何かでしょう? 違うと思うな」
「それもそうか……いやでも異種族の生態あんま知らんしなあ」
「んー、そうだよねえ。けど、これから色々手続き忙しいだろうけれど、ときちゃんはあの子に付いて居てあげた方がいいと思う。小学校は夏休み中だから良かったけど、やっぱり精神的に不安定になってるかもしれないから見ててあげてね」
「そうするよ。母さん夜には着くそうだから、明日は姉ちゃんの家に行ってみる」
「うん、それがいいよ」
姉の家。姉はどこに暮らして居たのだろうか。後で柑南にそれとなく聞いてみよう。夕食の準備を手伝い、伯父が帰ってきた直後に母が到着した。ショートヘアで、丸い顔。姉が居なくなってから随分と酒太りしたと思う。姉の死から逃げる為に、あまり飲酒量が増えないといいが。今は一旦労いの言葉をかけた。
「母さん。お疲れ」
「うん、ありがとう……」
母の様子を見るに随分憔悴している。実の子が亡くなったのだからそうなるのは仕方がないだろう。伯父と揃い姉の事と柑南の事を話せば、母は泣き出してしまった。それが普通なのだ。泣けなかった私が、歪なだけかもしれないだけで。
明日遠野病院へ行こうと母に告げると、涙ぐみながら、うん、と答えた。
「柑南くん、ちあきお母さんとはどこに住んでいたんだ?」
「上郷だよ」
「上郷か……そりゃあ、見かける事無いよなあ」
上郷地域は遠野の中でも過疎が進んでいる場所らしい。伯父の話では小学校はあるらしいが、中学はバイパス沿いの遠野中学校と併合されたそうだ。
「明日は俺も仕事を休むから、ちあきに会った後上郷の家に行こう。柑南くん案内してくれるか?」
「はい」
葬儀はこちらで終わらせ、明日遺体を引き取りに行こうと伯父が母に言った。検死も済んでいたから遠野病院にあったのだし、もう引き取れるだろうとも。警察署でも遺体の事は確認したが、いつでも引き取れる状態だと聞いていた。
「明日手続きしよう。それでいいな? 蓮美」
「はい……」
母の表情は暗い。
伯母が母を慰めようと背を抱いたが、その表情からは苦痛が見て取れる。
「父さんは?」
「今、出張だから、明日にでも急いで来るって」
「そう……康之は」
「康之はリゾートバイト中だろうし知らせたけれど、早くても三日後くらいになるだろうし、葬式に間に合うかはわからないって」
弟、康之は今沖縄だ。空港まで足があるか分からない事もあり、間に合わなくても葬儀は進めるしかないだろう。
柑南にお風呂に入ってくる様に伯母が勧める。着替えなりなんなりが入っているであろうショルダーバッグから下着などを取り出し伯母が風呂場へと案内し戻ってきた。
「ちあき、自殺なんだってね」
「通報したのは柑南らしい。……朝起きたら、亡くなっていたらしいよ」
あの子は誰の子なのだろう。と伯父が呟いた。私は分からないと答える。そう答える事しか出来ない。
誰もが疑問に思う事だろう。しかし、姉の子である事は確かだ。
「母さんも風呂入ったらすぐに寝よう。明日からはきっと忙しいから」
「うん……」
母の憔悴しきった顔を見て、私がしっかりしなければと沈んだ思考の中奮い立たせる。各々風呂に入ったりし寝支度を整えてからは早めに就寝した。しかし布団の中で考えは巡るばかりで中々寝付けなかった。SNSで現実逃避をしていると段々と眠気はやっては来たが、結局睡眠導入剤を追加して無理矢理寝付いた。
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