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第5話
今日は海に行く日だ。柑南の水着を昨日取りに行ってから、私も衣料品店で水着を買った。しかし水着と言っても上にTシャツとハーフパンツを着る気なので脱ぐことはない。康之は沖縄に持って行っていた水着を持っていたので綺麗なお姉さんが居たらナンパするそうだ。我が弟ながら馬鹿だと思う。
従兄弟達は帰り、父も仕事の関係で出張の方へと戻り盆にはまた来ると言い残し向かっていった。伯父と伯母も今日は仕事へと向かい、母と祖母二人が家に残る事になる。
十一時に兼親が訪ねて来て三人揃って家を出た。気をつける様に、と祖母と母に送り出され兼親の車に乗り込み、助手席には柑南、後部座席には私と康之が座る。
「海って釜石だよね。海鮮どこで食べるの?」
「まえ浜って所。着く頃には開いてると思う」
スマホで店の名前を検索する。人気店の様だが盆前とは言え平日だ。予約無しでも開店直後ならば入れるだろう。恐らく。開店は十一時半と書いており、開店する頃には着くだろう。
車を走らせ長閑な景色を眺めていると康之が浮き輪を膨らませ始めた。気の早い奴だ。
「膨らませるの早いわ」
「気が急いてしょうがねえ」
「お前水泳部だったんだから浮き輪要らないでしょ」
「馬鹿だなあ。浮き輪がある海の楽しさを知らんのか?」
「知らんでもいいわ別に」
「おれは分かるよ!」
お! ときちゃんったら遅れているわね。とにやにやとしながら言われ舌打ちと共に中指を立てた。
「弟に中指立てるなよ! 柑南くんの教育上良くないぞ!」
「はいはいすみませんねえ〜」
弟にガンを付けていると前の座席では柑南と兼親が話をしてる。
「飛ぶ時はケツに力を入れてるらしい」
「なんでケツなの?」
「それは分からない。あと飛行体勢は出来るだけ姿勢良くするそうだ。筋力が足りないとすぐに落ちちゃうんだと」
「筋トレした方いい?」
運転席のシートの上でぴくぴく動く兼親の黒い耳を摘むと、なんだよ。と返ってきた。
「猫耳は触りたいでしょ」
「黒豹だっつーの」
「兼親さん黒豹なの? 格好いいね!」
照れた様にありがとうと言う兼親。仕事は何をしているのかと康之に問われ大工だと答えると、やはり獣人は力が強いのかと問われる。
「まあ人二人一気に抱えられるくらいはある」
「えー、すっご」
天職じゃん! と言う康之に兼親は夏場は暑くて仕方がないと溢す。獣人は汗をかかないと聞いていたが、種類によって違うらしい。兼親の場合は手のひらと足の裏にしか汗をかかず、夏は地獄の様だと言う。空調付きの作業着が無ければ熱中症になるそうだ。
「あ〜、成程。でも岩手だと大工きついね。冬場は作業出来ないでしょ雪で」
「冬場は雪の降らない南の方に行ったりするんだ。県内だけじゃ食っていけないからなあ」
大工と言っても個人でやっている店では無く、色々支店がある雇われなのだそうだ。南へ行くのも出稼ぎの様なものなのだろう。
高速に乗り、数個のトンネルを潜り抜けながら車は釜石へと向かってゆく。兼親がよく聞いているであろう洋楽が車内に流れている。兼親と康之は音楽の趣味が合うらしく二人で語り合っている。私は邦楽ばかり聞く人間なので洋楽はさっぱりだ。
「柑南くんって好きな音楽ある?」
康之の問いに柑南は考え込むと、今やっているアニメの主題歌が好きだと告げる。私も知っているもので柑南に話しかけた。
「あれいいよね〜。機械音が入っているのとか格好いいよね」
「うん。後はね〜」
柑南と音楽の話からアニメの話になる。いい歳してアニメなんてと言われるかもしれないが、大人の作った物を大人が楽しめない訳がないのだ。
車内でやんややんやと会話がごちゃ混ぜになりながら高速を降りると釜石市内へと入る。遠野よりも栄えているな〜なんて思いながら街並みを見ているとどうやら店の近くに着いたらしく駐車場に車が停車した。
「ちょっと歩くぞ〜」
「はーい先生! 運転ありがとうございます! 姉上もごちになります!」
「お前の分は貰う」
「だからなんで!?」
店に着けば、開店してそう時間も経って居ないであろうに人が結構入っている。テーブルに着いて四人でメニューを見る。
「俺生ウニ丼にするね。ありがとうお姉ちゃん!」
「お前からは徴収だ」
「ンアー」
「私ほたて丼にします」
「俺は〜……いくらほたてめかぶ丼にする」
「おれねー普通の海鮮丼にする」
「決まりねー」
店員さんを呼べばすぐにやって来てくれた。各々の注文を告げ話をしながら待つ。海鮮丼など何年食べていなかっただろうか。刺身は食べても丼物はしばらく食べていなかった。
話題が柑南がどれほど飛べるのかに移る。柑南は飛べるには飛べるが体力的に長時間は難しいそうだ。飛べて十分程。と柑南が言う。
「うちの兄貴もそう長く飛べないらしいな」
「鳥人と獣人の兄弟とかテレビ出れるよテレビ」
「そんな面倒な事したくないぞ俺は」
今でさえ注目を浴びるのにこれ以上認知されたくない。と康之に兼親が言う。店内の客からも視線を感じる気がした。多感な思春期に種族の関係で苦労する事もあったらしい。そりゃあ有名になんてなりたくない事だろう。柑南にしても今後思春期が訪れるだろう。変な方向に突っ走らない事を願う事しか出来ない。今の柑南は素直で純朴な子供だがいつどこで歯車が狂ったっておかしくはない。ましてや親を亡くした傷すらあるのだ。病まない事を願う。
そうこうしていると海鮮丼がどんどん運ばれてくる。四人揃っていただきますと食べ始める。私が頼んだほたて丼は米とほたての甘みが口に広がり、なんとも言えぬ幸福感に包まれる。
「うまあ」
「ウニ丼うめえうめえ! ありがとうお姉ちゃん!」
「いい加減うざくなってきたな徴収」
「酷くない?」
「いくらいい浸かり具合だなあ」
「まぐろ美味しい!」
それぞれ食べながら全員で意識を海鮮丼に集中させる。黙々と食べているので会話なぞ発生しなかった。食べ終えた後お冷やを飲みながら海に行ったら柑南の飛行訓練を見ようと話す。
「動画撮ってうちの兄貴に見せればどこが悪いとか分かるかもな」
「飛行の指導員とかって居るのかな」
「都会だったら居るんだろうが、ここ田舎だぞ」
「そうだよね、それ失念してた」
「田舎に生まれると自己流で飛ばないといけんのか……地域格差」
私と康之は二人して腕を組んで考え込むが、そんなに重く考えるなと兼親に言われる。
「飛行の癖とかは出来るが、鳥人それぞれで翼の形や体型も異なるから全員に同じ飛び方が適す訳じゃないんだよ。自分で飛びやすい飛び方があったら余程変じゃなけりゃいいんだ」
「あーそれもそうか」
「じゃあ兼親さんのお兄さんの助言も当てはまらないって事?」
「いや、基本的な事だけ言ってた様だからそれは柑南にも当てはまると思う」
「ケツに力入れるのもか?」
「それは多分兄貴の癖だな」
会計をして店を出ると蒸し暑さが襲ってくる。すぐに駐車場に行き車に乗るが暑苦しい。兼親の車に最初に乗った時は前もって冷房をがんがん効かせていたのもあったのだろう。ギャップで余計暑い。
早く海に行こう。と車を発進させ国道に出る。街を抜けると山が広がり、右手に海が見えた。海を望みながらだべっていると海水浴場に着いたらしく駐車場に着く。愛の浜海水浴場だ。
私は中に水着を着ているのでTシャツとハーフパンツに着替えればそれで終了だ。更衣室に向かい着替えると先に男勢が水着姿で待っていた。
兼親は白のサーフトランクスでそれ以外は全身黒い毛皮で覆われ、柑南は小学校で使っているであろう水着にふわふわとした羽毛に覆われている。異種族ってやはり人間とは違うな。と隣の人間である康之と比べて改めてそう感じたのだった。
「何じろじろ見てんのよ!」
きゃあ! と康之が胸元を抑えるが面倒なので構わずに放っておいて海へ足を進める。後ろでうるさく喚いている。
祖母から借りた日傘を差して砂浜へと向かう。子供連れの人や浜で休むカップルが見てとれた。夏休み中なのもあるし割と人が居るものだ。
足元は砂浜と言うがほぼ砂利だ。ビーチサンダルが無ければ足ツボマッサージもいいところ。適当な場所にレジャーシートを引いて私は座り込んだ。尻がごつごつとする。康之と柑南は浅瀬で遊び始め、兼親が隣で同じく日傘を手に座り込んだ。日焼け止めを塗り終え傘を持つと兼親が口を開いた。
「で、なんで自殺未遂なんかしたんだよ」
「開口一番それえ?」
「聞けって言ったのときわじゃん」
「あー、……友達と喧嘩してさあ」
「それでやったの!?」
驚愕したらしい声を兼親が上げるが、いやいや、と制する。
「縁切るって言われたけどそこまではまだやる理由にはなってない。謝る前にあいつ事故死したんだよ」
「……それで後追い?」
「抱え切れなくて家で首吊ったら縄切れたらしくて、その時意識無くて気が付いたら病院」
「……ばっかだなあ」
その通り馬鹿だと今ならば思う。しかし、当時はどうしても受け入れられなかった。死ぬとか逃げだろうと追いかける気満々だったのだ。頭がイカれていたとしか思えない。
「縁切ってもいいから生きていて欲しかった」
「……そりゃそう思うだろ」
「でも死んで欲しかった」
「憎かったのか?」
「多分そう、だけど」
「だけど?」
「私の居ないところで笑って、誰かに見守られながら、幸せに死んで欲しかった。私の居ないところで幸せで居てくれればそれで良かった」
「……それ結構きもいな?」
「分かってんだよ! んな事は!」
「茶化してごめんって」
私はあいつに死んで欲しかった。でも不幸な死に方を望んでは居ない。ただ笑って、普通の人生を過ごして、普通の幸せを手に入れて、誰かに看取られて、幸福と言える人生を歩んで欲しかった。その道を途切れさせて欲しくなかった。生きて幸せで居て欲しかった。そこに私が居なくても。
兼親の言う通り仲違いした人間の幸福を願うなんて確かに気持ち悪いだろう。けれど、たらればでも私は未だにあいつが幸せに生きて、私の居ない場所で幸せに生きて居たらと考える。私は大好きだった人間をすぐに嫌いにはなれる様に出来ては居ないのだ。あいつはきっと、ずっと昔から私を嫌っていたとしても、だ。
体育座りをして膝に頭を埋める。嫌われていたと分かった時、確かに死がよぎった。けれど諦め切れなかった。どうしても無理だった。亡くなったと連絡が来た時は、頭の中で考えが纏まらなくなった。気が付いたら病院のベッドの上だ。その後仕事を休職して、退職して、今ここに居る。私の吐露を聞く兼親はずっと無言だった。
「ずっと昔から鬱ではあったんだけれど、悪化してからは何もやる気も起きなくてベッドで寝転んで、風呂にも碌に入らなくなって、今の状況じゃあ好転しないだろうって見かねた母さんが遠野に行って療養して来なさいってさ」
「鬱どころじゃ無かっただろ。ちいねえとか柑南の事とかで」
「うん。色々忘れられた」
むしろ姉には感謝の念が浮かぶ事すらあった。柑南と接していると嫌な事は忘れられた。しかし同時に憎い感情も存在している。相反する心とは複雑なものだ。
康之がおーい、と遠くで声を上げた。柑南が飛ぶ練習をするらしい。こちらを走りながら通り過ぎて後ろに向かっていった柑南。だ、と海に向かって走り出し助走を着けて地面から飛び立った。
「おー、本当に飛べるんだ」
「俺も鳥人だったらなあ〜」
「憧れでもあるの?」
兼親に問うと、昔小さな頃、兄に抱きかかえられながら飛んだことがあるそうだ。とても楽しかったらしい。
「今のこの図体じゃあもう飛べねえだろうから、懐かしい事思い出したなあ」
「まあ飛べるって浪漫があるよね〜」
沖の方に向かった後飛んで帰ってくる柑南を眺めながら兼親の言う通り鳥人だったのならばと思う。
「ときわは海入んねえの? 俺行ってくるけど」
「柑南が帰ってきたら行くよ」
兼親は海に向かい歩いて行く。康之が兼親を手招いて浮き輪で浮いている。着地した柑南がこちらにやって来ると肩で息をしている。相当体力を使うらしい。隣に座り込んだ柑南にジュースを差し出す。
「お疲れ、結構飛べるもんだね」
「めちゃくちゃ、疲れたあ……」
ジュースのペットボトルを受け取った柑南はジュースをごくごくと飲み下す。息も落ち着いてきたのか徐々にゆっくりになってゆく。
「動画撮った?」
「あ、忘れてた」
「も〜う!」
「ごめんごめん。もう一回飛ぶ?」
「もうやだ〜海に落ちたら絶対溺れるもん」
おれ泳ぐの苦手だし、と不貞腐れる柑南。浜は砂利で砂遊びなんて出来る状態では無いし、浅瀬に行こう。と柑南を誘った。日傘を置いてビーチサンダルを脱ぎ暑い砂利を足に感じながら浅瀬に入れば心地良い冷たさがやって来る。
「あ〜気持ちいい〜」
「康之おじちゃんどこ? 浮き輪欲しい」
「あいつどこ行ったんだ?」
康之〜と叫ぶと沖の方から人影が手を振っているのが見えた。
「あいつ流されてんじゃない?」
「大丈夫?」
「まあ曲がりなりにも水泳部だったし放っとこう」
「おー、やっと来たか」
兼親が沖側から泳いでやって来た。毛が濡れたことによりいつもよりもぺしゃっとしている。
「康之くんあれ大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫」
「おれの浮き輪……」
もう少し深い所に行ったなら私の肩に手をかけるといい。と柑南に言えば、ありがと、と礼が返ってくる。深い方へ向かってゆくと柑南の背丈では少し深い場所に着く。肩に手を乗せばた足をし始めた柑南と共に康之の元へと向かう。康之は浮き輪でぷかぷかと浮かんでおり、片手にいつ買ったのか分からないかき氷を持っている。
「浮き輪柑南にやってよ」
「柑南くんどーぞ」
「ありがとう〜」
「ついでにそのかき氷よこせよ」
「海賊の方?」
残念もうありませ〜ん。との康之の煽りに苛つく。水着のお姉さんナンパはどうしたと聞くと、皆子連れだよ〜、と嘘泣きしながら泣き言を言った。
「おばあちゃんと言うお姉様が居るぞ。泣くのはまだ早い」
「俺にナンパをしないと言う選択肢無いの?」
三人で浜に向かいながらゆっくりと泳いでゆく。遠目で浜のビニールシートの近くで寝転がっている兼親の姿を確認した。多分日干ししているのだろう。
柑南の足がつく場所までやってこれば兼親が上体を起こした。ざぶざぶと水をかき分けながら歩き兼親の元に着くと先程よりも毛がちょっとふっくらとしていた。
「獣人とか鳥人って風呂入った後乾かすの大変そうだね」
「まあなあ、一応獣人用の乾燥機家にあるぞ」
「鳥人は油塗って手入れしてるからあんまり濡れないんだよ」
「そこら辺は普通の鳥っぽいな。尾脂線あるの?」
あるよ。との柑南の言葉に、私は獣人や鳥人の事をあまり知らないんだなあ、と考えさせられる。確かに柑南の羽は水を弾いており然程濡れていない。実家近くにあった入浴施設では獣人用の乾燥機があったのも思い出す。自分には使う必要も無いものだろうと思っていたが、身近に獣人と鳥人が居るのだし、自身でもう少し関心を持って知ろうとするべきかもしれない。
私も乾かそう。と浜辺で寝っ転がる。顔には日傘を添えて体だけに日の光が当たる様にした。兼親ももう入る気はない様で隣で寝っ転がっていた。康之と柑南はまだ浅瀬で遊んでいる。
「ビーチチェアが欲しい」
「ごつごつしてて痛えよなここ」
「でもさー、なんかちょっと思い出したんだけど、この浜ってさ、昔来た事無かった?」
「やっと思い出したのかよ。忘れすぎ」
幼い頃、兼親の兄は居なかった筈だが、兼親の父母と兼親、姉と私とで来た記憶がぼんやりと蘇っていた。その頃の浜は、今よりも広かった気がするのだ。それを兼親に言うと、震災があったからだろうと言う。
「震災あってからは浜が無くなった海水浴場が多いんだ。元に戻るまで結構かかるんだと」
この浜も多少人の手が入って再生されたそうだ。震災があってからは十年以上経っているが、それでもやはり昔見た浜よりは狭いと感じる。
震災当時は私は関東で大学へ入る前だったが、遠野の祖母が心配で家に電話をかけても繋がらず、携帯も混み合い中々繋がらなかった。安否確認が出来たのは停電が解消されたと言う三日後の事だった。
「俺らも当時は学生だった訳だし、高校にも被災者家族が居たりしたな」
「あの時は本当に不安だったな」
「家流された癖に買ったばっかのゲーム機が!って嘆いてる奴とかクラスに居たなあ」
「図太いなそいつ」
はは、と声を上げ笑えば兼親も笑った。お互い無事に再会出来て良かったと今なら思える。私は当時は既に鬱を発症しており、不安で不安で堪らなかった。当時は姉が居た事もありよく気分転換だと外に連れ出されていた。失礼ながら当時は迷惑だと感じていたが、今にして思えば姉なりの優しさだっただろう。
「釜石市内の方も結構津波来てたんでしょ」
「うん。当時はかなり荒れてたよ。ここに来るまでも更地多かっただろ。再建するにしてもまだまだ時間はかかるよ」
だよなあ。とだけ言ってしばらく二人して無言になる。人は本当に呆気なく死ぬ。あいつも、この土地の人間も、突然の事で。避けようのない事で。
最後でもいいから、ごめん。とだけでも言いたかった。日傘の外に広がる空は憎らしいほど青かった。
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