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短くも、忘れられない春休みが終わった。
雲はただ立ち込めるだけで、街を濡らしはしなかった。おかげで桜は懸命に粘っていた。だけどそんなのまったく意味がなかった。
新しい学期が始まった。
高校二年になったところで、子どもだか大人だか曖昧な僕は、朝だか昼だか曖昧な空を眺めていた。
目をつぶれば、彼女の薄桃の唇が鮮明に浮かぶ。だけど目を開けると、窓に映るのは僕の唇だけだった。
その鏡像の唇にポツリ。水滴が流れる。
雨だ――。
僕は教室を飛び出していた。
何も考える暇はなかった。ただひたすらに走った。
雨脚は僕を追い越して、すぐに街を灰色に覆った。
傘は持っていなかったけど、そんなものもう必要なかった。
もはや緑が優勢の木の下に、彼女の姿が見える。
何かを叫ぶ彼女の声すら聞こえなかった。夢中で闇雲に走り続け、その勢いのまま、彼女を再び抱きしめた。
もう離さない。放したくない。だけど――。
腕の中から見上げる彼女が、精一杯の花を咲かせて囁く。
「ねぇ、キスしてくれる?」
僕が強く頷くと、彼女がまぶたを閉じて、長いまつ毛がこちらを向く。
僕も目を閉じて、はっきり思い出すことができるその薄桃色に、自分の唇を重ねた。
その瞬間。
まるで花びらが触れたかのように、微かな感触だけ残して、飛んでいった。
さっきまで腕に抱いていた重みも、温もりも、雨上がりの空みたいに、余韻だけ残して消え去っていった。
雨はまだ降り続けていた。
だけど彼女は消えていった。
春はまだ続くのに。花はまた咲くのに。
彼女はもう、遠くへ行ってしまった。
次の春。
来る日も来る日も、桜の前で雨を待った。
一際風が冷たい日には、期待だか失望だか分からない力で、胸が締めつけられた。
雨が降っても、彼女は現れなかった。
傘を持っていても持っていなくても、彼女にはもう会えなかった。
春の雨が降るたびに、僕はこの場所に立つ。
傘はささずに。
右隣には鮮やかな桃色が落ちていて、こんな僕を見上げて笑う。
繋いだ手の温もりが、透き通った肌の色が、唇の感触が、降り注ぐ一粒一粒に映っては落ちていく。
その景色を綺麗だと思えるから。
きっと彼女も笑ってる。
雨にだって花は咲く。
恋に散っても、その散り際さえ美しく、愛しく思えたから。
君がいなくても、僕はまた春を越えていける。
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