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翌日、アワンはシティエンドの中央通りを進んでいた。ケインが深夜に連絡をし、待ち合わせ場所として中央通りの先にある広場を指定した。早朝の通りは軍の人間が人々に紛れて監視していた。ケイン達の尽力により、街で活躍する軍人は気難しい警備員も同然に落ち着いていた。
通りの中央にある広場に着いた。
噴水が広場の中央にあるが水は流れていない。道路が円状に囲っていて、青銅の街灯が道路と広場の境に一定の間隔で立っている。
ケインは噴水前で待っていた。袖から出ている手首には機械じみた腕輪がついていて、手にはカバンを持っている。
アワンはケインの姿を認めて近づいた。「朝っぱらから来るなんて、暇人なのね」皮肉を込めて尋ねた。
「なら君も経験するといい」ケインは信号を渡り、通りを歩き始めた。
アワンはケインに続いた。
人々を監視している軍人はケインの姿を見ると敬礼をした。ケインは軽く頭を下げて答えた。
二人は通りの先にある坂を登った。銃痕や剥がれが脇に建つ建物の一部に残っていた。人々が薬局の前で並んでいた。
民は軍閥の闘争を深い傷として記憶に埋め込み、消沈した。政府は緩和を理由に薬物を介して和らげる手段を取った。民は配給の薬物を摂取し、目の当たりにした記憶の傷を薄めていた。
「記憶は蓄積して正常な判断を奪う。染まる前に素直に引き下がって平穏に暮らした方がいい。まとまった金があるなら、棄民よりいい生活は出来るのではないか」ケインはさりげなくアワンに尋ねた。
アワンは顔をしかめた。「家政婦と慰み者で一生を終える気はないわ」
ケインは薬局の前で並んでいる人々に近づいた。
人々は混雑からいらだちを覚え、ケインに辛く当たった。
ケインは怒りを顕にせず、素直に詫びて事情を話して頭を下げた。
民はケインの話を聞くと態度を変え、ケインに頭を下げて事情を話した。話を終えるとアワンの元に戻った。「済まない」
アワンは一瞬、不快な表情をした。「何を話してたの」
「供給が安定しないので対処を頼むと訴えがあった」
「記憶を吹き飛ばすなんて、都合良すぎよ」
「誰でも向き合いたくない過去はある。大切な何かを失った記憶は特に忘れたがる」ケインはアワンの首筋を見た。コードと番号が混じったタトゥーが彫り込んである。
「飲みすぎて記憶喪失にならなければいいけどね」アワンは軽くあしらった。
ケインは笑った。
二人は坂を登った先にある喫茶店に入った。
店内は席がほぼ埋まっていた。薬を受け取った帰りに寄る年寄が殆どで、若者の姿はない。店内には緩やかなクラシック音楽が響いていた。
店員が二人の元へ駆けつけ、店が混んでいる旨を話して確認した。ケインとアワンは店員の案内に従い、空いている隅の席についた。
客の一組はテーブルに置いてある新聞の記事を見ながら話をしていた。話の内容は昨日、アワンが処理した出来事だった。新聞にも同じ事件が載っていた。
ケインはメニューブックに目を通さず、紅茶とスコーンを頼んだ。
アワンも店員にケインと同じメニューを注文した。
ケインは店員が去ったのを確認し、カバンから書類を取り出しててーブルに置いた。
アワンは書類を手に取って眺めた。棄民街に向かい、指定した物資を回収して自身のキャンプに持ってくる。依頼書と同じ内容で、軍閥としての署名ではなく、ケインの署名がついていた。「行くだけなら軍でやる方が楽よ、何でやらないの」
「軍は規律が第一だ、違反は命令出来ない」
アワンは周囲を見回した。客達に紛れて軍服を着た男が一人用の席に座って自分達の席を見ている。ケインを含む軍閥をまとめる将校は監視がついている。地下活動と街からの移動を防止する為だ。
「物資の詳細は」
「棄民街にいるアベルに聞け。彼が地下活動を掌握している」
客達はケインが口にした「棄民街」の言葉を聞き、動揺した。
アワンはアベルの名前を聞き、気難しい表情をした。「根回しの程度は」
「目標の場所に入るまでだ。我々は公僕だ、出てからの関与もサポートも無理だ」
アワンはため息をついた。棄民街は隔離している。出る手段は外にいる人間と血縁関係があるか、外出を必要とする仕事に就いた場合だけだ。
「俺は代わりに書類を出しただけだ。繰り返すがアベルに聞け」
アワンは周囲を見回した。客達は一斉に自分達を見ている。
棄民街は闘争が激しかった頃、生活が立ち行かなくなった者達を隔離する為に広大な土地を持つ刑務所を整備した施設だ。かつては収容所と称した場所で、体制は復興の混乱を理由に現在でも続いている。
客のうち、年老いた男がケインの元に近づいてきた。「大尉」
ケインは年老いた男に目を向けた。手には新聞を握っている。
「棄民街、と仰ってましたな。昨日の一件からしてもですが、棄民街に肩入れしている理由はあるのかね」
「真に手を差し伸べる存在は、誰もが手を差し伸べない存在だ。彼らを作った責任として弱者を作った。補填をするのは当然だ」ケインは丁寧な口調で説明した。
年老いた男はケインの説明を聞き、眉間にしわを寄せた。「なら我々も弱者だよ。軍の争いで何度家が壊れ金を失ったか。奴らのせいで地価が下がり、人は嫌って訪れず復興もままならん。軍は何も言わない棄民を助け、文句を垂れる市民は早く死ねと命じているのかね」
「軍は公僕よ、憂さ晴らしで動かないわよ」アワンは突っかかった。
年老いた男は丸めた新聞紙を突きつけた。「お前には聞いていない、大尉に話している」
ケインは顔をしかめた。
ウェイターが紅茶とスコーンを乗せた盆を持って、ケインのテーブルに来た。気まずい雰囲気を悟り、逃げの一心で手早くコーヒーとスコーンをテーブルに置いて足早に去った。
「確かに棄民街はあってはいけない施設だ」大尉は紅茶に口をつけた。
「何で潰さない」
「弱い人間は更に弱い人間に目をつけて鬱憤を晴らす。棄民と一緒の場所に居れば、市民は暴行し治安を落とす。非力な人間をなぶり殺しにするのを見過ごす訳に行かない。だからこそ隔離して守る。収容所なくして守る手段はない」
年老いた男は眉間にしわを寄せた。
「管理しているのは政府、まして我々と別の軍閥が占拠している。すぐに手を出せん」
年老いた男はケインに食ってかかった。「お前らがしたのと同じく、すぐに蜂起して潰せ。穀潰しは今の世に不要だ」
「一戦を交えるにしてもまとめ役がいない。決め手に欠けて割に合わなすぎる」ケインは強い口調で言い切り、監視している将校に目を向けた。監視部が存在する現状、蜂起は軍閥の終わりを意味する。
年老いた男はケインをにらみつけた。ケインは周囲を見回した。ケインの目線に合わせて周囲を見回した。客達は冷めた目線でケイン達を見ている。「放置した先は破滅だぞ」席に戻った。
アワンはスコーンを手に取ってかじり、紅茶を飲んで流した。紅茶の味が合わず、軽くむせた。「とんでもないわね」
「民も弱いのも事実だ、現状しか見ていない程に余裕がないんだ」ケインは一息ついた。「話は受けるか」
「体裁は整っているわ。サポートは」アワンはケインに尋ねた。
ケインはコートから人工革で出来た、黒い革製のシガレットケースと書類、腕章を取り出してテーブルに置いた。「棄民街の番に渡せ。今は別の軍閥が占拠している、名前だけでは通らない」
アワンは箱を開け、入っているシガレットを確認した。シガレットは民には手が届かない製品だ。原材料のタバコの葉が希少で、かつ戦費確保を理由に税率を高く設定している。一方、軍では種火の作成や前線の緊張を紛らわせる為、一定数を支給している。「普通の人しか動かないわよ」
ケインは笑みを浮かべた。「価値を知る者に渡せば分かる」
アワンはシガレットケースを胸ポケットにしまい、書類を確認した。書類は軍閥同士で取り交わす通行、滞在の許可証と政府が発行する施設の調査申請の認証だった。書類は折りたたんでシガレットケースと同じ胸ポケットにしまった。
二人は紅茶とスコーンを消費しながら他愛ない話をした。
互いに頼んだメニューを食べ終え、話も終えた。
アワンは席を立ち、チップをカップに差し込んだ。「勘定は」
「俺が払う、仕事の吉報を待っている」
「待ちきれずに飛び出さないでね」アワンは喫茶店から出た。
ケインは席を立ち、カップの皿にチップを挟み込んだ。レジスタに向かい、財布から紙幣を1枚出した。
店員は受け取り、釣りを出した。ケインは釣りを受け取り、喫茶店を出た。
建物が日光を遮っていたが暖かい空気が流れ込んだ。
ケインは坂の下に広がる街の状況を確認した。レンガと漆くいで出来た黒い屋根の建物が並んでいる。喫茶店に向かった道と逆の方向へ歩いた。
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