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「デロさま、アランはどこ?」
アランがいるはずの街の警察署に行くとデロが困惑顔にソフィを出迎えた。二階の参謀室に通される。
「ソフィさま……後方にいてくださる約束では――」
軍服をかっちりと着込んだ大男は、ソフィの行動を軽率だと思ったようだ。髭面を生真面目にし、すぐに彼女を送っていくようにと部下を呼ぼうとした。ソフィはもう一度、問う。
「アランはどこ?」
「閣下は――」
アランは常に大尉の軍服を着ている。どこにいるかを伏せているからだ。機密に関わるのでデロは言い淀み、咳払いをした。ソフィは長身の彼を見上げた。
「負傷兵がワーシャル軍は北から攻めてくると言って息絶えたわ」
「北?」
「普段使われていない。北門があるの」
「そんなものがあるのですか」
デロが知らなかったということは、ほとんど誰もが知らないということだ。いや、逆に知っているのは、ごく一部の公族だけ。この作戦を考えたのが、己の都を火の海にしているダニエルであることは間違いない。
ソフィは近くにあった地図に駆け寄ると、北にある城壁を指差した。
「ここよ。旧市街地の向かいにあるエリス川のすぐ南。ここに中世の門があるの。封鎖されてはいるけれど、木の門は丈夫なものではないわ。兵士が打ち破れば人が通る穴を作るくらいわたしだって簡単よ」
「……ソフィさま、しばしお待ちを」
デロは地図を丸めて部屋を走り出て行った。ソフィはここにアランがいないような気がした。静かに長椅子の上で指揮を執るような人ではない。兵士たちとともに同じ食事を取り、同じ空気の中に身を置く人だ。だからこそ、兵士たちが彼についてくる。
ソフィは窓の外を見た。
「ソフィさま……」
バラボー大尉が心配げに声をかける。外では銃声が響き、女の絹を裂くような悲鳴も聞こえてきた。敵は近い。
「ここを退避した方がいいのではありませんか」
「アランを置いて逃げることはできないわ」
すると、ドンという音とともに、暗闇に信号の花火が放たれた。アランに危険を知らせる信号だろう。
――気づいて、アラン……お願い!
ソフィは祈った。月は静かに彼女を見下ろし、窓の向こうを見る。石畳の道には人影はなかったが、遠くから東の方角から蹄の音がした。軍服を着ている。アランだ。後ろから来るのは、ワーシャル軍の騎兵だ。バンバンという乾いた音がし、銃弾がアランを襲う。部下が何人か落馬した。
「アラン!」
ソフィは部屋を見回す。ライフルがあるのを見つけると一丁をバラボー大尉に投げ、もう一丁、自分の手に置く。手早く火薬を詰めて、硬い窓を開けた。
「ソフィさま⁉」
「心配しないで。狩りで銃は使ったことはあるわ」
当てる必要はない。アランを援護するために敵を一時的に撤退させるだけでいい。ソフィは大きく足を開いて銃を構えた。そしてアランを撃とうとしていた騎馬兵を撃つ。外れた。しかし、耳をかすったらしい。馬脚が明らかに遅くなる。
バラボー大尉もまずまずだ。一人打ち、すぐに火薬を詰め直して撃ち直した。その頃には、デロも下の騒ぎに気づいて、警察署から兵士を引き連れて将軍を助けに向かった。ソフィはもう一発撃つ。今度は、アランのすぐ後ろの男に当たった。落馬して男を避けきれずに、後方の二頭も巻き添えを食った。
「なかなかの腕前ですね」
バラボー大尉が、笑顔で火薬を手にしてソフィに言った。
「田舎ですることと言ったら狩りくらいよ。山鳩狩りが特に得意よ。生きて帰ったら一緒に行きましょう」
「それはいい」
階段をものすごい早さで上がってくる足音がした。バンとドアが開く。マルクだ。
「敵が北側からやって来ました! 囲まれます!」
ソフィは火薬を詰め直すと、それを片手に「行きましょう」とバラボー大尉に声をかけて部屋を出た。警察署の玄関では撃ち合いをしている。ソフィたちは西側の窓から外に飛び出した。そしてバラボー大尉に言う。
「あの塔に上れますか」
指差したのは、教会の塔だ。時になると、からくり人形が出て来て音楽を奏でる美しい時計がある。バラボー大尉はソフィに頷いた。
「あそこの上から撃ちます」
「わたしはアランを助けに行くわ」
「無謀はよしてください、殿下」
「無謀ではないわ。あなたが必ず敵を撃ってくれると信じているから」
バラボーはじっとソフィを見た。そして敬礼する。
「必ず。大公殿下」
ソフィは彼の腕をアランがいつも部下にするように軽く叩くとマルクたちと敵の死角である建物の裏に回る。
――アラン、待っていて。
ソフィがアランたちが見える位置に行った時、彼らは敵に挟まれて建物の影から応戦していた。デロはまだ、別の隊と戦っていて到着していない。
「銃の使い方は分かる?」
ソフィが聞くと、マルクたちが「馬鹿なこと聞くな」とにやりとする。ソフィとマルクを入れてここにいるのは、七人。銃は五丁。一人が道の反対側からタイミングを確認し、三人が打ち手となり、三人が火薬を詰め替えることに決まる。
――マルクは名手ね。
彼は百発百中だ。他の二人も負けてはいない。アランは苦戦していたが、こちらに味方がいるのを知ると、ちらりと見る。ソフィは手を振った。彼は信じられないものを見て瞠目する。どうやら、約束を破ったことに腹を立てた様子だ。
「この分では絞られますね」
耳を押さえながら、打ち手を交代したマルクが言った。塔の上にようやく上ったバラボー大尉の銃の音が頭上からし、敵兵を次々に狙い撃つ。
やがてあたりは静かになった。犬のけたたましい鳴き声がする以外は、足音さえしない。そっと建物の影から見れば、道に敵の死体が転がっている。アランたちが物陰から恐る恐る出て来た。そして、あたりの安全を確認すると、彼はこちらに大股で近づいて来る。きっと叱られるとソフィは目を瞑った。彼は彼女をぎゅっと抱きしめた。
「なぜここに」
「負傷した将校から北門から敵兵が来ると聞いたの。だから知らせないとと思って――」
「君になにかあったらと思うと、気が気ではなかった……」
「大丈夫よ」そう、ソフィは言おうと思った。それなのに、アラン肩の向こうで、ワーシャルの兵士が一人、死体の山から立ち上がるのが見えた。よろよろとこちらを見たかと思うと、脚の影から銃を取り出し、アランに向かって構えた。ソフィは考えるより先に体が動いた。
バン。
背後から、大きな音がして、誰もいない街の石畳の道で響いた。ズキンと激しい強い痛みが体に廻り、硝煙の臭いと煙が辺りを包んだ。
「ソフィ!」
アランが叫んだ。彼は崩れゆくソフィを抱き留めたが、ソフィは空を見ていた。満天の星の瞬く夜空は美しい。春の星々を見つけると、彼女は手を伸ばした。
「ソフィ!」
アランの声は遠い。それなのに、デロがこちらに走ってくるのはちゃんと見えた。これでアランは無事のはず。ソフィは心のそこからほっとした。微笑んでアランを見る。
「あなたが無事でよかった……」
「ソ、ソフィ……」
「ア、ラ……ン……」
ソフィの意識はこと切れた。
ソフィの意識が絶えた。
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