けものと花たち

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 夕食を箸でつつきながら、自分の腕に目を落とす。 「……でね、公民館の近くに植わってる紫色の小さい花がたくさんついてるやつ、調べてみたらスターチスっていうのがいちばん近いんだけどなんか微妙に違ってさ。写真撮りたかったけど人んちのだからねぇ。さなちゃんなんだかわかんない?」  母が訊いてくる。父はテレビを見ている。食卓は混沌としている。お茶の間で流すにはいささか品のないその番組が、母は好きではない。父に幾度交渉しても見るのをやめてもらえないので、植物について話そうとがんばっている。疲れきったようすの父は、番組としか交流する気がない。母の声の音量が大きくなる。父が二本目の缶ビールをあける。テレビの芸人たちが大きく笑う。おどけた感じのナレーション。  父はべつに、どうしてもそれを見たいわけじゃないんだろう、とさなみは思う。きっと、楽しみとか、具体的な意味を求めているわけじゃない。だけど、彼にはこれが必要なのだ。それは缶ビールと同じようなもの。栄養になんてなりようもないけれど、日々の疲労を溶かすため、頭から浴びなくちゃならないもの。  母にてきとうな相づちをうちながら、テレビの音にも気を惹かれながら、やっぱり毛深いんだよな、と腕を気にする。鶏のつみれが箸からこぼれてお椀に落ちる。味噌汁が少し、テーブルにはねた。 「もー、なにやってんのよ。著ぐらいちゃんと使えるようになってよ。赤ちゃんじゃないんだから」  よこされたぬれ布巾で、テーブルをふく。  母の顔色が、うっすらと青黒い。  わたし、毛深いみたいなんだけど。  って、相談して助けてもらいたいけれど、恥ずかしくてできそうにない。向こうから言ってきてくれたらいいのに。「さなちゃんが学校の話題に入れなくなっちゃう」みたいなのを死ぬほど気にしているわりには、ところどころ抜けがあるんだよな。ていうか、お母さん自身はこのモンダイをどうしてるんだろ。偏見だけど、お母さんはオタクだから、サロンとか行ったことなさそう……  自分の部屋に入り、ベッドの上にあぐらをかいて座る。Tシャツのそでと、キュロットのすそから延びる手足を眺める。  毛をどうするかという問題に関して、さなみはまだネットで検索したことがない。  死ぬほど悩んでいるのはほんとうだ。だけれど、検索しようと思うと、なぞのプレッシャーが重くのしかかってくる。  だってどうせ、「一本いっぽん抜いてくださいね」みたいな、もうとっくに思いついている上ものすごく手間がかかる方法を提案されるか、「サロンに行ってくださいね」みたいな、一般小学生にはハードル高い方法を提案されるかのどっちかで、さらには「それぐらいの努力はできるよね?」みたいな圧かけてくるんでしょう? きっとそう。ものごとに楽な道なんてない。お顔に恵まれない少女として生きてきた半生は、さなみに、あらゆることに期待しないことを教えた。親との約束で、家でネットを使える時間は限られている。その貴重な時間を、ずっしりと絶望するために使いたくない。  いつかは検索しなくちゃ。でも、もう少し先でいい。いいんだ。世界があした爆発するというほどの心配ごとじゃないし。きょうの帰り道のことだって、一日二日やりすごせば傷はいえる。まわりの子たちが、具体的にどうにかしているという話も聞かないし。まあ、彼女たちはもともと、どうにかする必要があるほどひどい毛並みをしていないわけだけど。  腕の皮膚を軽くなでる。動物だったら、毛が多いのはかわいいのに。人間だって、動物なのに。人間でも、髪の毛とかまつ毛だったら多くてもいいのに。男子だったら、そんなにへんに思われないのに。腕や脚に毛がたくさん生えている女子は、へんな動物だ。  そういえば、と気づく。男子が毛のことをからかってくることは、ないな。ふだん、「目があいてない」とか「起きながらにして目が寝ている超人」とかあれだけうるさいのに。男子というのは、そういうところまでは見てない生き物なのか。見てたとしても、生々しすぎてそこは触れない感じか。逆に、ふだんはぜったいそういうこと言わない女の子たちが、このことだけは言う。  からだをおおう毛の中から、左腕のひじ近くのふくらみに生えた一本を選びだし、爪の先で引っぱってみる。痛い! まわりの皮膚ごと浮き上がってこわくなる。手で抜いていいようなしくみにはできていなさそうだ。全身にはいったい何本の毛が生えているのかさなみは知らないけれど、ひとつひとつやっていったら、たいへんな労働になりそうだ。  そうだ、はさみで切ったらどうだろう。ああ、はさみの分厚い刃では根元まで切れっこないのは試さなくてもわかる。それに、全身くまなくはさみを届かせるなんて、とうてい無理なことで。  いまは五月の半ば。涼しい日もあるけれど、そうじゃない日も増えてきた。これからしばらく、肌をさらして生活しなくちゃいけない季節は続く。  悩むのにも飽きてしまった。宿題をしようと立ち上がる。自分を落ち着かせるためのせりふを、心の中でつぶやく。  大丈夫。おとなになれば、きっとなんとかなる。
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