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「さなみちゃん、行こう」
二日後の放課後、美桜ちゃんが声をかけてきた。
ショートボブの髪と、いつもほほえんでいるような表情と、ちょっとコミカルな動き。いつもの彼女がそこにいる。でも体操着姿で、手には赤いポンポン。
「うん」
さなみも机の横にかけていたポンポンを持って、体育館に移動する。雨が降り出したので集合場所は校庭から変更になった旨、先ほど放送があった。
わたしは美桜ちゃんのこと、少しもきらいじゃない。そう確認できてほっとする。心晴ちゃんのことはたいせつだけれど、流される必要はない。
雨に囲まれた体育館に少しずつ児童が集まってくる。紅組の応援団、ぜんぶで十二人。
チアリーダーというとかっこういいけれど、小学校のチアはかっこういい人がなるものじゃない。そういう委員にわりふられたからやるってだけで、ぱっとしない女子がやっても問題はない。運動会以外にもふだんの雑用が多すぎるため、かわいい子たちが立候補しようとすることもなかった。
真っ黒なジャージを着た女の先生が、トートバッグを手に提げてさっそうと入ってくる。みんなが体育館の前方に集まっていく。先生は真ん前に立つと、バッグの中からポーチをとりだし、小さなスピーカーを出してステージの上にことりと置いた。
さなみの好きな去年の担任の先生だ。肩までの髪を、ジャージスタイルに合わせていまは低くひとつに結っている。四十歳くらいのはずだけれど、「二十六歳の顔だよね」とみんなのあいだで評判。五年になってからも、目が合えば笑顔でかまってくれる。
「全員集まった? 石田くん、全員集まってる?」
「はい」
委員長兼団長の石田くんという六年生が答えた。
「そう。じゃあはじめようか。みんなフリは覚えてきてるよね?」
はい、とひかえめな返事がいくつか起こる。先生が配った映像や音源を使って、各自家でコピー済みなのだった。
「はい。じゃあ早速はじめるよ」
先生がタブレットにさわると、スピーカーから音楽が流れだす。
当日は体操着の上から短いスカートをはきこそするけれど、音楽ははやりのなんかじゃなくて、毎年同じ何曲かの応援歌だ。フリだってかんたん、さなみなんかでも覚えられるくらいに。
スピーカーからの音量がやけに小さい。雨の音に絡まれながらささやかに鳴っている。途中、先生が気づいてボリュームをあげる。ただの運動会ソングがこじゃれたダンスミュージックに感じられるほど音質がよくて、さなみは笑いをこらえた。
四年の子がひとり、あまり覚えてきていなくて少しもたついたけれど、すぐにそろうようになった。はじめて合わせたのに、はりあいがないぐらいスムーズにいっている。
「あれ? なんか一曲だけ足りないよね」
三十分ほどして、先生がタブレットをさわりながらしぶい顔で言った。
「間違って消しちゃったか、コピーしそこねたかな? ちょっと確認するから、休憩してて」
みんな雑談をはじめたり、水筒の中身を飲んだりしはじめる。ぶつぶつ言いながらタブレットと格闘している先生を、さなみはじっと見た。消えた一曲のゆくえを、たぶんさなみは知っている。
それ、たぶんコピーのしそこねじゃないです。二曲がひとつのファイルに入っているんだと思います。わたしがもらった音源もそうなってました。曲の間が長すぎて、先生が飛ばして次に行っちゃったから、消えたんだと思います。
そう言おうとして、でも声にすることができなかった。顔をあげ、「なに」という形に口を動かした先生は、センセイという仮面をはずした顔をしていた。先生も忙しいのだ、と思う。教室の外で、もう担任を受けもっていない子に対してセンセイをやるのは、たぶんきっと、疲れることだ。
思わずいいえと首をふってしまう。ちゃんと伝達できなかったことをすぐさま悔やみつつ、さなみは美桜ちゃんの話に耳をかたむけはじめた。
「……それで、わたし、妹の部屋に勝手に入らなくちゃいけなくなったんだけど、妹は寝てて。わたし、妹は習いごとに行ってると思ってて、寝てるって気づかなくて。貸したままだった絵の具をとろうとしたんだけど」
うなずきながらも、どこか上の空な自分にふと気づいた。
美桜ちゃんはこんなにたくさん話す子だったかな、と思う。べつに、いつもとなにも変わらないのに。なぜだろう。それまでのように楽しく話を聞いていることが、できない。話の内側に、入っていけない。
「それで、妹がすごい叫んじゃって、ほんとうに困って」
「あはは」
少しのけぞって笑ったひょうしに、体育館の隅に目が行った。美桜ちゃんと仲良しの四年生の子が、ひとり群れから離れてぽつりと立っている。そうだ。いつも委員の集まりのとき、美桜ちゃんはさなみといっしょに集合場所に行くけれど、着いたらあの子と話していることが多かった。その間、さなみは男子と話しているのがいつものことで。
「ねえ、あの子」
話の切れ間に、さなみはそちらを指し示した。
「行ってあげなくて平気?」
「え? べつに」
美桜ちゃんは不思議そうにして、すぐもとの話に戻る。ほどなくその四年生のもとに、席をはずしていた連れが戻ってくる。
ああ。
もしかしてわたし、美桜ちゃんに距離をつめられることが、いやになってきている?
そう気づいたそのとたん、ショックとともに、頭の中に暗いうねりが生まれるのをさなみは感じた。
うねりが、頭の中でさなみと押しあいへしあいしはじめる。なんなの。やめてよ。
ぐぐぐ、とさなみをねじ伏せようとするそれは、あの日心晴ちゃんの言っていた「きらいなんだ」という暗いことばと結びつき、美桜ちゃんの話に対する集中力を、さらにそがせていく。
そうか。
こうやって、人の気持ちは人の気持ちへと、うつっていってしまうんだ。
だれかと語りあうことで、影響しあうことで、だれを好きでだれをきらいかまで、のがれようもなくしばられて決まっていってしまうんだ。
わたしは、どうする気だろう。
「――さなみちゃん?」
はっとする。
いつもの微笑のまま、美桜ちゃんが気づかわしげに訊いてくる。彼女は少しうつむいた。
「ごめん、話に起承転結がないよね。いつも妹にも言われてるの。気をつける」
全身をとらえかけていた暗いうねりが、にわかに引いていきはじめる。ふたりで遊んでほんとうに楽しかったという、当たり前の感触が、身体によみがえってくる。
美桜ちゃんのことばが、くっきりと心に入ってくる。へんな悟りをさせてしまったことに、少しあせりを覚えた。
「起承転結なくなんて、なかったよ。というか、漫画家じゃないんだから、そんなのなくていいし」
「さなみちゃんはいつも、いいこと言うね」
「そんなことないよ……」
さっきまで暗いうねりが住んでいた空洞に、その微笑がしくりと染みる。
先生が集合をかけて、さなみたちは並び直した。
もっと、なにもかも、楽で、かんたんで、一直線で、シンプルだったらいいのに、と思った。でもきっと、楽でかんたんだったらすごくつまらないんだろうな、とも思って。
結局、先生のタブレットの中の消えた一曲は見つからなかった。しかたなく、その曲をみんなで歌いながら練習した。みんなの声がすごく小さくて、先生はあきれて何度も天をあおいだ。消えた曲のこじゃれダンスミュージックバージョン、聞きたかったなとさなみは思った。
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