黒い蜘蛛

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黒い蜘蛛

それは虫の知らせであったのか今にして思へば このところずっと体調が優れず特に腹の工合が思うようでなくそのせいかその晩も特に食欲などなかったのだが何かしら腹に入れなければ体に悪いと思い多少無理に、帰りがけに買った出来合いの握り飯をひとつだけ押し込むように食した。多少は腹も減り昼などはいざ食い物を前にするとそこそこの量を食ってしまうのだが明らかなのは以前より食が細くなったということだ。そもそも以前が食いすぎであったことは否めないのだがこれは単に加齢によるものではなく薬が変わったために副作用が生じているのは素人の自分でもわかっていた。もし副作用でないとしたらたまたま医者の薬が変わったのと時を同じくして癌が発症したのだろうと思っていた。というのもどうも腹の工合が悪るくなったとき癌で病院に入ったり出たりをしながら勤めに来ていた者から話しに聞いていたからだ。便が出辛くなり日に何度も便所へ通うようになりその後便に血が混じるようになり重い腰をあげ医者へ行くと時すでに遅しであったというのだ。そのときはやはり食欲もあまりなく食っても食ってもどんどん痩せていったと聞く。が俺は思いのほか痩せた様子もなく便に血が混じるということもなかった。が彼が言うにはもうそうなると手遅れであるから君も早くに医者を受診することだと窘められたが如何せん貧の暮らしでは医者代すらないのが実情であり万が一にも癌であると宣告されてもその治療費というのは莫大であるらしくそんな貯えも支払う能力もないのだ。それで仕方なしにこの数ヶ月しぶり腹を放っているのだ。そういった機会がある度につくづくと世の中は金が全てに思えてならなかった。ろくな手間にならないようなところへ勤めるしかない自分が悪いのだし、そのうえに苦しい生活を補う為に安易に借金までしたものだからもう首が回らない。そういう風だからもしも悪い病であったとしても、金のある例の彼のように治療費を捻出もできぬのだから、死ぬよりほかないと諦めていたのだ。もう還暦も近く気力すら薄れていた何事にも。しぶり腹がはじまってからはふと良かった頃の昔を思い出し、何も思い残すことはないと言い聞かせてみたりもした。たまたまいい家に生まれ坊ちゃん坊ちゃんと持て囃され何ひとつの苦労もなく育ち父が取締役を勤める財閥系の会社にも勤め金は湯水のように使い放題の若い頃を過ごしたものだ。それがある日何かしらの疑問を持ちその家を飛び出してからはどこへ行っても使い物にもならぬ凡庸どころか最低の人間であることを思い知らされたのだ。親の七光りただそれだけで自分の腹さえ満たされればそれでよい裕福な暮らしをしていたのだ。がそのことについてようやく自分が、それは正しいことなのかと考えたときにはあっという間に辞表を出しその裕福な家庭を飛び出していた。今にして思えば随分と無茶で馬鹿なことをしたものだと思うし俺の素性を知った者もやはりなんて馬鹿なことをしたものだとみな一様に険しい顔をみせた。が俺はこれでよかったのではないかと思っている。いやいずれこうなる運命だったに違いない。運命ではなかったとしてもそれを捻じ曲げた結果もきっと運命なのだろう。父親がいつまでも取締役の椅子に座っておるはずがない。いずれ社を去るときがくる。そのとき間違いなく俺のような者は淘汰されたに違いない。金銭的には裕福であっても社内の風当たりというのは大変に強かった。全ての社員や取引先が父親に好意的なはずがない。反対勢力のその風当たりたるや筆舌に尽くし難いものがあった。それに耐えられず俺は全て捨ててきたのだ。そんなもの気にせず黙っていたら何れ取締役の椅子が回ってきたものを馬鹿なことをしたものだと周りの者は言うがそもそも精神面も弱い俺にはそれは耐えられなかったのだ。そもそもがたいした能力もなくそのうえにたいした大学も出ていないのだから本来であれば務まるはずがないのだ。親があってのことでしかなかった。がその時代というのは高度成長期の頂点ともいえるような世相でとにかく今のように金に不自由したこともなく好き勝手に好きなだけ金を遣い遊ぶことが赦される家庭にあっただけだ。その父親もかれこれ二十年ばかり前には定年退職をし取締役の椅子は誰かに譲った。もしもそのときまだ俺がその社におってもその椅子は回ってなどこなかったろう。俺の能力のなさは自分が一番に知っているのだから。やがて退職した父親はそれから間もなくやはり癌に侵されこれまでに三度も開腹手術を受けた。が金はたらふくある家だから最先端の最高の医療を受けられたようだ。そうして生き長らえ最近八十をすぎ中気にあたった。長らく疎遠となっていた実家から父親が倒れたことを知らされた。その実家というのも父親と後妻とそれの連れ子、戸籍上は弟になる者のいる家だ。実のところ若い時分から実家に暮らすことも苦痛を極めていた。後妻やその連れ子とは反りが合わず何度も大喧嘩をしたものだ。俺が会社を辞めたときには是非ともその後妻の連れ子である弟にあたる者を父親の会社へ縁故で入社できるよう取りはからえと訴えたそうだがそれは叶わなかった。頑なに実子を重んじた父親の考えであった。それを思うとますます会社を辞め家を飛び出したことは後悔よりも、いかに父親を落胆させたものかと猛省している。そんな中気に倒れた父親は養老院へと押し込まれたようだがなかなか面談したことがない。自分の後暗さだけではない。今の世の中というのはおかしな疫病が流行り死者が多数でる疾病であり容易く他人に感染する為に病院や養老院などは特に厳重に外との往来を拒むのだ。がいち度だけ中気にあたった後の父親と会うことが叶った。幾分容態のよいときに数日ばかりではあるが実家へ退院してきたのだ。そのときに会った父親は以前の大会社の取締役の面影はなく中気で顔が曲がってしまい喋る言葉は呂律が回らずいったいが何を言っているのかもわからぬ有様であったが以前に俺が、これも借金をして買ったのだが父親に贈った舶来の時計をはめ「これはよい時計だ」と嬉しそうに俺に見せた。父親は腕時計と自動車には大変に興味を持ち拘った人であった。俺も若い時分には国産の最高級と呼ばれる時計を何本も父親から誕生日などことあるごとに贈られたものだから、中気にあたったことを知らされまだ父親の命のあるうちにと無理をして舶来の高級時計を借金してまで贈ったのだ。それから数日して父親は養老院へと入れられた。後妻も高齢であり手に負えないという名目で養老院送りとなってしまった。それからはまた実家とは距離を置き今父親がどうしているのかも知る術もなかった。そのうえ自分が癌を患っているかもしれぬこともあり父親どころではなかったのも本当であった。 無理に押し込んだ握り飯のあと煙草を吸いたくなり手巻き煙草の盆を机にのせ一本巻いたときであった。金もないのだしこんな体に悪い煙草などやめてしまえばよいのだがやめるにやめられず既製品の煙草よりはだいぶ安い手巻きの煙草をしている。安易に煙草に手を出したのは中学の頃であったが今はそれも後悔の種であった。ふと何かしらの気配を感じ足元を見れば蜘蛛がじっとしていた。俺は元々から虫が大の苦手であった。子どもの頃も学校の友人らは虫取りに精を出していたが俺はそういうこともなかった。まして蜘蛛などは気味が悪くて仕方がなかった。こんな隙間だらけの安長家では度々おかしな虫が入り込む。俺はちり紙を数枚に重ねその蜘蛛を握り潰した。逃げ惑うこともなくただちり紙ごと丸められた蜘蛛。なにかいやな感じがして蜘蛛について調べた。机の上には文豪と呼ばれる偉い人たちの本をボール紙で俄に拵えた本棚の真似事のような箱に並べてあるのだが所詮馬鹿故に字引がなければその難読な漢字や難解な表現がよくわからなかったからである。その字引には夜の蜘蛛は縁起が悪いものであるから例え親の顔をしていても殺してしまうべしとあった。たしかにそれは何処かで聞いたことがあった。が他には蜘蛛というのはお釈迦様の遣いであるとも記されていた。無闇に殺してはならないとも。
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