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その夜、事務局が手配した先斗町通沿いの格式ある京料理店で懇親会が始まると、俺は自分の立場も忘れて酒を呷り続けた。
湯浅の控えめな笑い声が聞こえる。
あいつ、また笑えるようになったんや──。
綺麗な歯並びを見せるその笑顔が、無性に眩しくてひどく懐かしかった。
どうせ、俺のことなんて気にも止めんと、横浜で悠々自適に過ごしてきたんやろうな──。
そう思うと、たちまち負の連鎖で、あの頃に抱いたざらついた感情までもが蘇り、不快極まって酒の味が落ちた。
湯浅──。
きっとお前は、その外面の良さと責任感の強さで、周囲の人望を集めてんねやろ。
仕事に直向きに打ち込む姿なんて、容易に想像つくわ。
その狂いのない完璧な笑顔で、一体どんだけの人間を魅了してきたんや。
お前がゲイやってことも知らんと言い寄ってくる女が哀れで同情するわ。
なあ、湯浅──。
お前、今まで何しててん。
トイレから出てきたその背中に思わず声をかけると、奴はすぐには振り返ろうとはせんかった。
気まずい静寂が心臓を突く。
「俺や、葉山や。もう忘れてしもたんか、薄情な奴やな」
緩慢に振り向くその面立ちは、あの時と同じ、温度を感じひん無機質な瞳。
「葉山……なんか用か?」
「用かちゃうわボケ。久しぶりに会うてその台詞はないやろ」
腹立つ目しやがって。
何やねん、クソが。
「お前、今もオッサン専門? 俺の知り合いに50過ぎのゲイがおんねんけど、相手おらんて嘆いてたし今度紹介したるわ」
仕返しするように侮蔑の目を向けると、奴はその場に凍りつくように佇み、そのまま固く口を閉ざした。
僅かに寄せられた眉が不快感を露わにしとる。
「でもほんま、お前が係長なんて横浜市も大それたことするなぁ。一緒に来てる部下もこの際ちゃっかり食おうとしてんちゃうの? 相変わらず女みたいな顔して、今も男に溺れてんのか?」
傷付けばええ。
湯浅なんて、傷付けばええねん。
せやけど奴は、係長面を崩さず冷静に対峙してきやがった。
「葉山、飲み過ぎだ。もうやめとけ」
腹立つ。腹立つ。腹立つ……。
なんやねん、その小賢しい関東弁は……?!
お前は京都の人間や。
調子に乗りやがって、もうすっかり関東人気取りか。
「っ……お前みたいな奴がなんで係長なれんねん。ああ、あれか。上司にまで股広げたんか」
追い打ちをかけるように挑発すると、これ以上相手してられへんと見限ったんか、奴は黙って踵を返した。
「湯浅! そう嫌そうな顔すんなや、久しぶりの再会やろ」
その肩を掴もうとして、前方から歩いてくる背の高い男の存在に気付く。
湯浅の隣に座っていた若い男──。
そいつは、俺たちを交互に見つめると、仏頂面のまま目の前に立ちはだかった。
「ん? お前の部下か?」
「橘です」
何やこいつ。
偉そうに見下してきやがって。
愛想の一つもない、可愛げのないその立ち姿に静かな敵意を感じる。
「俺は葉山や。湯浅の幼馴染みやねん」
幼馴染み──。
その言葉の優位性を、さも忠実そうな部下に高らかと掲げると、何とも言えん優越感に酔いしれた。
お前の出る幕ちゃうねん、ガキ。
お前はこいつのこと、どうせ『優秀な上司』くらいにしか思てへんのやろ。
「湯浅の部下なら、せいぜい気ぃつけや」
「どういう意味ですか」
切り返そうとした言葉を、幼馴染みが遮る。
「葉山、個人的に言いたいことがあるならどこか別の場所で……」
その時、俺の上司が不穏な空気を察して割り込んできた。
ええとこやったのに──。
適当に言葉を濁してその場を立ち去ったが、胸の奥底に沈む、澱んだ感情を拭い去ることは出来ひんかった。
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