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【葵と暁】雨降って地固まる
普段は滅多に張らない声量を出した所為か、喉がチクチク痛む。よれたシーツが足元に絡むのさえ今は不愉快で。乱暴に蹴り飛ばした。その勢いで落ちた枕を拾う気にもならず、狭い部屋に舌打ちの音がやけに響いた。適当な咳払いをしても状況は変わらない。力んだ事で頭痛まで併発していた事を自覚する。薬を飲もうにも保管してある場所が判らない。社会人になって十数年も経っているはずなのに、すっかり相手に依存していたのだと、こういう時に思い知る。
本当に情けないとヒカルは自己嫌悪に浸る。そもそもこういう関係になる前から小規模な諍いは日常茶飯事だ。性格も正反対だし、生活を共にするようになった契機すら思い出せない程で、自分の性格が火に油を注ぐ結果になったので、葵を怒らせる事に繋がって、それから――。
「メシの時間よ」
鍵を開けて部屋に入ってくる音が、あまりに生活音として根付いているから気付かなかった。そんな事があるのか、あるんだよ。彼はヒカルの生活の一部だから。判らないでしょ。ヒカルだって何で彼が自分の顔を覗き込んでいるのが判らない。
「は? 何で、」
「同じ釜の飯を食ったら、大抵の事はどうだってよくなるのよ」
そう言いながら、野菜だの卵だの日持ちの短い食料を冷蔵庫に収納していく姿はやっぱり見慣れた彼だった。いくら何でも戻ってくるのが早すぎやしないかと呆気にとられるしかない。こっちは反省すらまだ途中だったというのに。ペタペタと裸足で戻って座り込む葵に、ヒカルも流石に居住まいを正す。吊り上がった目の端が赤く染まっていて、そんな顔で外に出させてしまった事を後悔した。
「アタシとなんか食べたら有耶無耶にしてあげるからアンタもそうするの」
有無を言わさぬ迫力を前に、何よりもさっさと言うべき謝罪が出てこない。髪を弄って濁そうとするのは悪い癖だと自覚はしていた。
「すんごいキレてたから、流石にもう駄目かと思った」
ポロリとまろび出た声が震えていた事に自分で気付いて居心地が悪い。葵の濡れた瞳が幽かに揺れた。
「ヒカルが別れたいって言わないなら、別れてやんない」
「……もし、別れたいって言ったら?」
「……別れてやんない」
そうして零れ落ちる涙を掬い取る前に抱き締めていた。問答無用の満場一致で自分が悪い。こんな顔をさせる方が悪い。
「ごめんなさい」
「アタシもごめん」
突き合わせた額が熱い。歓喜と安堵と後悔。あらゆる感情が発露した涙を受け止め終わったら、まずは一緒に何か食べようと思う。
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