六十秒の憂鬱

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 周さんの指先にはざらつきことあれど、ささくれなんてないんだよな、とか思うのは仕方のないことだろう。  オレはひたすら、現実逃避をしていた。  先ほどまでの甘い雰囲気はどこへやら。  結局真剣に触れてくる周さんに、やはりされるがままになっていた自分。  ちょっとだけ、そういう雰囲気になるかもという自分を恥じつつも、これはもう言うしかない、という決意もあって。 「周さん、気づいてるかわかんないんで、その……言おうか迷ってたんですけど」 「はい」 「いちおう、あの」  もだもだ歯切れの悪い自分に、周さんの手はすっと動きを止めて、皮膚からゆっくりと離れていった。  仕事中だとはわかっている。  自分もそう、仕事として彼に触られている。わかっていても、どうしようもないことだって、ある。  じりじり上がる熱を、どこまでも隠そうなんて思わなくなっていた。 「咲人くん?」 「こっち、だって……むらむらするんです、よ?」  思わず投げてしまった一石に、広がる沈黙。  ぽちゃりと広がる波紋。波打つ世界。ひしひしと、感じる、周さんの熱。  す、とまた触れてきた指先は、確かに熱を帯びているように感じた。  いや、そうであると、オレが期待した。  カチコチと秒針の音だけが響く。  あっという間に六十秒は過ぎ去ってしまいそうだと、息を飲んだ。 「……ふふ」  無言のまま、必死なオレに気付いたのか、先に目を伏せたのは周さんの方だった。 「な、なにがおかしいんですか!」 「だって」  若干目元を潤ませながら、周さんは呟いた。 「咲人くんが、素直で、かわいくて」 「う」 「狼になってしまいそうです」  そういう風に見られていたことも、恥ずかしさを助長した。  周さんがわざとらしく、顎下を指でくすぐってくる。四つ足のいきものではないのに、自分の  こわい。  でも。  ただ   「オレ、ぶどう酒持ってないっすよ」 「もちろん、ここにもありません」  せいぜいコーヒーくらいでしょうか、と周さんは少しだけ辺りを見回して、何を思ったのは笑い始めた。 「だから、シラフでケダモノですよ」  いいんでしょうか、と周さんは言う。  傾げた首と、傾斜する瞳の向こう側。いつになく直接的なことばだと、思った。  周さんの目つきが変わったわけではない。きっと、そういう感じに普段からしている人なのだ。  そう思いたいのに、ちょっとはオレに向ける視線が違ったのではないかと思いたいところもあって。  じりじりとした熱で溶けてしまいそうな自分もここにいる。  待ってもらっていたのか。  ただ、罠にはまるのを期待されていたのか。 「……そ、れは」 「いいんですか、咲人くん?」 「いい、とは」  恥ずかしげもなく聞くオレに、周さんはゆったりと呟いた。 「依頼じゃない、触れ方をしても」  その言葉にごくりとつばを飲み込んだ。その動きも観察されているに違いない。周さんの視線から体中に膨らんだ温度は、多分期待だ。  オレは間違いなく周さんに触れてもらいたいのだと、改めて理解したのだった。
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