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第8話
「ぅううううううーーーーん」
社内コンペの締切が近づいているが、千尋はいいアイデアが出せていない。リフレッシュルームで腕組みをしながら唸り声をあげた。鼻の下に鉛筆を挟んで、むー、と変な顔をしながらスケッチブックをかざして眺めていると、背後からいい匂いがする。……颯斗の香水だ。
慌てて閉じたスケッチブックが床に落ちた。颯斗がそれを拾い上げる。
「……見ていい?」
社長にそう聞かれて断れるわけがない。千尋はもじもじと頷いた。彼と口を利くのは、コーヒーをこぼして服を脱がされそうになった時以来だ。彼もそれが頭にあるのか、インターンの作品を見るというのに遠慮がちだ。二人の間にはぎこちない空気が漂う。
「……すごいな。『ぼく伝』のキャラ、殆ど模写してある」
スケッチブックを開くや否や颯斗の顔色が変わった。千尋の顔と代わる代わる、食い入るように眺める。この子が本当にこれを全部描いたのか、と確かめようとするかのようだ。
「かなり網羅されてるけど、全キャラというわけではないんだね」
「はい……。課金あんまりできないので、レアキャラはコンプできてなくて」
唇を嚙む千尋に慰めるような視線をちらと送り、颯斗は更にページをめくる。そこには、コンペ用に練っていた千尋のオリジナルデザインもある。
「これ、君のオリジナルだよね。……ちょっと力んでるって言うか、奇を衒いすぎてる感じがするな」
社長にまでダメ出しをされ、しゅんとなるが、颯斗はなおも質問してくる。
「ぼく伝では、どのキャラが好きなんだ?」
「ミミです!」
食い気味に千尋が答えると、颯斗が目元を僅かに緩めた。
「そうか。ちなみに、好きな理由は?」
「『ワン』ってちゃんと鳴けない子犬で耳が地面に着きそうなくらい長いなんて。普通のゲームでは主役級になれそうにないキャラだからです。……僕、『ぼく伝』の世界観が好きです。他のどんなキャラも、悪役でも否定されないですし。多様性を受け入れてるって言うか……。こんなゲームを作る会社で働きたいってずっと思ってたんです」
期せずして、サムライゲームへの志望動機を熱く語る自分に戸惑ったが、颯斗はからかったり茶化したりすることもなく、真顔で千尋の瞳を見つめ、黙って耳を傾けてくれた。
「サムライや『ぼく伝』を褒めてくれて嬉しいよ。でもさ、言ってくれたことと君のデザイン、全然合ってないじゃん」
ハッと息を呑む千尋を眺め、颯斗は静かに微笑んでいる。
「確かに他社のゲームなら、ミミは脇キャラだろうね。ちょっと間の抜けたデザインだから。でも、君はそこがいいと思ってくれたんだろ? なのに、コンペに出そうとしてるのは、いかにもマッチョな勇者じゃないか。このキャラが『ぼく伝』に来たら、ミミたちと仲良くなれるかな?」
痛いところを突かれた衝撃で、千尋は唇を嚙み占めて俯く。その表情を窺いながら、彼はリフレッシュルームの本棚から一冊の本を抜き出し、千尋に手渡した。
「この本知ってるか?」
「ジェームス・W・ヤングの『アイデアの作り方』……いえ、初めて知りました」
「すごくいい本だから読んでみろ。この本のコアメッセージはこうだ。
『アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせである』
ゼロベースで全部考えるんじゃなくて、何かと君のアイデアを組み合わせてみたら? ……真面目に取り組んでくれてるみたいだから聞く。君は、この道でプロとしてやっていく覚悟はあるのか?」
心の底まで見透かそうとするような強い眼差しで見つめられた。千尋は胸の高鳴りを感じながらも、ぐっと奥歯を嚙み締めて頷く。
「……はい。僕はプロのゲームデザイナーになりたいです」
睨み返すくらいの視線で見つめ返すと、颯斗は返事を嚙み締めるように何度か頷いた。
「じゃあ、厳しいけど言うぞ。プロになってこの世界で生き続けたいなら、自分がいいと思うものに関して妥協するな。君にしか描けないものは何か考えることを止めるな。醜さや弱さも含めて、自分を全てさらけ出す覚悟を決めろ。中途半端や紛いものは、見る人が見ればすぐ分かる。
本気でぶつかって来い。君が心からいいと信じたデザインなら、俺は必ず受け止める」
千尋は借りた本を胸に抱き締めた。背中を向け立ち去ろうとする颯斗が途中で立ち止まり、思い出したかのように振り返る。
「……そうだ。いつもコーヒーカップにイラストを描いてくれてるのは君? 見ると和んでリラックスできるよ。ありがとう」
直接手渡すことがないから知らなかったが、千尋がカップにイラストを描いていることに気づいてくれていたとは!
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