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第2話
王子様のようなメディアに出ている社長の顔と実物の落ち武者ぶりのギャップを深く考える間もなく、千尋はお使いのミッションに取り掛かる。ビルの一階にあるシアトル系チェーンのカフェでレジに並ぶ。
北海道の田舎から出てきたのは二年前だが、こんなお洒落なお店でおどおどせずに注文できるようになったのは、つい最近だ。
バーカウンターに嵌められた鏡に映った自分の姿をチラッと眺める。
鳥の巣みたいにもじゃもじゃな頭から髪がひと房、あらぬ方向に飛び出して自己主張している。瓶底のようにレンズの分厚い眼鏡。パーカーとオーバーオールはだぼだぼで、鶏ガラのように痩せた身体を隠している。
どう見ても地味なゲームオタクそのものだ。
背だけはひょろりと高いが、先ほどの落ち武者は千尋より五センチ以上高かった。
百八十センチを超える長身であの美男子ぶりなら、きっとモテるだろう。
受付でミミとグータッチした時の高揚した気分は、針で突かれた風船のように萎む。誰にも聞こえないように小さく溜め息をつきながら神経質に指で引っ張って髪を撫でつける。大丈夫。きっと『ぼく伝』を作っているサムライでなら。そう言い聞かせ、くじけそうになる自分を鼓舞する。
「ホットコーヒーをふたポット、スチームミルクをひとポット下さい。それと、サンドイッチ十人分お願いできますか」
言われた通りに注文を繰り返すと、レジを打つ女性店員が顔をあげる。
「あなた、一ノ宮さんとこの新人?」
「はい。……正確には、社員じゃなくてインターンなんですけど」
まじまじと見つめられ、千尋は耳を赤くしながら答える。彼女は納得したように頷いた。
「やっぱり。こんな注文あの人しかいないもの。昨夜リリース? サンドイッチは、いつも通り出来上がり次第お届けするわね」
万事心得た様子の彼女に、千尋はホッと頷いて見せた。
ポットを抱えてオフィスに戻ると、数人の社員が起き始めていた。茶髪の男は、先ほどより生気ある表情で歩み寄って来、千尋の手からコーヒーポットを一つ取り奥へと歩いていく。おずおずついていくと、明るい色の椅子やテーブルが並んでいる広いスペースに着いた。リフレッシュルームのようだ。早速コーヒーの香りを嗅ぎつけた男性社員がやって来た。
「颯斗さん、コーヒーっすか」
「おう」
やはりこのポニーテールの落ち武者が社長だ。千尋は慌てて紙コップやマドラー、砂糖のパッケージなどを取り出す。
「今回は殆どトラブル出なかったな」
「リハーサルも順調でしたから」
彼らはコーヒーを手に、立ったまま喋っている。会話が一段落するのを待っていると、二人がその場に立ち尽くす千尋に注目した。
「あ、あの。カード、お返しします」
軽くどもりながらプリペイドカードをおずおずと差し出す。颯斗がそれを受け取った瞬間、オフィスのほうからバタバタと別の男性社員がやって来た。
「すいません。トラブってます」
途端に二人は表情を引き締め、コーヒーのカップを握り締めて大股でオフィスに戻る。
千尋は、きょろきょろと辺りを見回し、手ごろなワゴンを見つけ、コーヒーのポットとカップ類を載せてオフィスのほうへ押していく。さっきまで静まり返っていたオフィスだが、今はみんなが起きて、真剣な表情でそれぞれ仕事に取り組んでいる。
「コーヒー飲む方いらっしゃいますか?」
それどころじゃないと怒られるかもしれないが、疲れているから温かいものが飲みたい人もいるに違いない。思い切って声を掛けると、何人かの手があがった。
「ブラックちょうだい」
「俺もブラック」
「こっちは、ミルクと砂糖入れて欲しい」
千尋はカップにコーヒーを注ぎ、一人一人に手渡していった。
「誰か、手が空いてたら、会議室からホワイトボード持って来て」
「僕、持ってきます」
力仕事にも真っ先に手をあげた。言われるがままに社内外を走り回り、インターンシップ初日は終わった。
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