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第5話
それから数日後。会議室には各チームのリーダーが集まっている。上映されているプレゼン資料から想像するに、アクティブユーザー数や滞在時間の伸び悩みについて話し合っているようだ。
「どのコーヒーが誰のかは、前に教えたから頭に入ってるわね? 今日は、社長へも都倉君からお渡しして」
全員のカップに手早くイラストを手描きしていると、鬼沢がそんなことを言い出した。
「え、いいんですか?」
鬼沢は大量のカップをうんざりしたように横目で見ながら頷いた。
「だって、すごい数じゃない? 社長だけ私からっていうのもおかしいでしょ」
千尋はコーヒーを運び込むタイミングを見計らう。
颯斗の第一印象は、ひたすら怖くてとっつきづらい人だったが、ただ気難しいだけではないということは程なく分かった。彼は社長室を持たず社員と同じフロアに机を置いている。議論に集中する時のために個室の会議室があるが、ガラス張りだ。つまり、競争の厳しいゲーム業界でサムライを本当に世界的に成功させるため、いかに必死で真剣か、社員に極力何事もオープンに経営しているかが肌で感じられる。会社で一番のハードワーカーは間違いなく颯斗だ。
限られた社員としか口を利かないのは、お追従が嫌いなのだろうと想像している。彼の性格を知らない中途入社の女性社員などが色目を使った時の塩対応は見事だ。
「一ノ宮社長って、メディアで見るより実物のほうが素敵ですね」などと言われた日には、
「そう? でも性格は実物のほうが悪いんだよね。とりあえず、許可した時以外は俺に話し掛けないでくれるかな」
にこりともせず素っ気なく言い放つ。
千尋が一度だけ直接手渡した封筒は弁護士事務所からのものだった。「男は敷居を跨ぐと七人の敵がある」とは言うが、海千山千のベンチャー業界で十年以上社長を張る彼には、きっと七人どころではない敵がいるはずだ。部下であっても、そうやすやすと信頼するわけにはいかないのだろう。
会議室で颯斗はじっと椅子にふんぞり返ってなどいない。ホワイトボードにチャートを描いたり、俯いている社員を指名して意見を引き出したりしている。
千尋は彼の真剣な横顔に見とれた。切れ長の二重瞼は意志の強さを、やや肉厚な唇は情熱と優しさを感じさせる。後ろ姿も、逞しい肩や引き締まった腰がセクシーで、つい目で追ってしまう。
普段はアロハシャツや薄手パーカーとデニムがトレードマークだが、今日は薄手で光沢感あるニットに桜色のパンツを身に付けている。ぽうっと見つめていると、オフィスでは、複数の社員が声を潜めて噂話をしている。
「颯斗さん、今夜はコンパかな?」
「じゃない? お洒落してるし、夜のスケジュールもブロックしてるから」
「こないだも両手に花で芸能人のSNSに写真載ってたもんな」
「知ってる? 颯斗さん『こっち』にもモテるんだって」
手の甲を縦にして頬に沿わせ、揶揄するような仕草。
颯斗に惹かれ始めている千尋の内心を読み取ったかのような発言にヒヤリと背筋が冷たくなる。
百人を超える会社規模では、同性愛嫌悪な社員もいるだろう。千尋も頭では理解できるものの、多様性を謳うゲームを作るサムライに夢を抱いてきた分ショックだった。
子どもの頃から、千尋は暇さえあればアニメキャラクターのイラストを描いていた。特に好きだったのはプリンセスものだ。女子からは「都倉君って、可愛いし絵も上手ね」と褒められたのだが、それが面白くなかったのだろう。一部の男子からは苛めを受けた。
「下手くそ、キモオタ」とイラストを取り上げられて嫌味を言われたり、細い身体付きや大きな目が男らしくないと馬鹿にされたりした。中学生の頃には同性愛を自覚していたが、狭く閉鎖的な田舎町だ。そんなことを相談できる相手はいなかった。
千尋は自分のほうからゲームやアニメ好きな所謂オタクと言われる男子生徒に近づいた。彼らと同じに装い、同じように振る舞い、徒党を組んだら苛められなくなった。その代わり、オタク仲間以外からは透明人間のような存在になった。ゲームに目覚めたのもこの頃だ。キャラクターを動かすと自分自身がヒーローになったようで、苛められた切なさを忘れられた。
だが、オタク仲間ですら、千尋の王子様お姫様好きを奇異な目で見た。
「え……。都倉って、お姫様とかそういうのが好きなわけ?」
自信作のイラストを見せた時の彼らの困惑した反応に接して、以来、友達に王子様お姫様のイラストを見せるのはやめた。
そんな千尋の理想郷が『ぼく伝』だった。世間一般で言われる男らしさ・女らしさとは違う性格や外見のキャラクターに魅了された。一番気に入ったのは主人公のバディ・子犬のミミだ。脚が短くてコロコロした身体つきと、長く垂れ下がった耳。全く強そうな感じがしないのに、くじけそうになるパーティーの仲間を励ましてくれる勇ましさもある。
こんなゲームを作る仲間になりたいと思ってインターンシップに来たのに……。
過去の苛められた嫌な思い出が一瞬のうちに甦り、千尋は額の冷や汗を袖で拭う。何食わぬ顔で会議室のドアをノックする。
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