番外編 初めての千尋の手料理

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番外編 初めての千尋の手料理

 今夜、千尋(ちひろ)にとっては初めての恋人・颯斗(はやと)が、千尋の手料理を食べにやって来る。緊張しながらも、千尋は狭いキッチンで張り切って腕を奮っている。  炊き立てのご飯は、千尋の地元・北海道の名産『ゆめぴりか』。  お味噌汁は、昆布と鰹節(かつおぶし)出汁(だし)を取り、実を何にするか考えた挙句、シンプルに、ワカメと小葱(こねぎ)にした。  メインはもちろん、彼に買ってもらった(あじ)の干物。  副菜は、しっかり量を作った。外食の多いであろう多忙な颯斗に、野菜をたくさん食べてもらいたかったからだ。蓮根(れんこん)と人参の白和え。茸三種の醤油漬け。ほうれん草のお浸し。  彩りも栄養もこれならバランスばっちりだ、と、出来上がった料理を前に満足げに頷くと、玄関のチャイムが鳴る。 「は、はーい!」  慌ててエプロンを外して千尋は玄関に向かう。オートロックなどないシンプルなアパートだから、ドアを開けたらすぐそこに颯斗が立っている。 「い、いらっしゃいませ」 「お邪魔します。……すごい。いい匂いだな。あ、これお土産」  彼は水色の風呂敷に包まれた小さな瓶を千尋に差し出した。 「あ、そんな。今日は元々、颯斗さんに買ってもらった干物をお出しするだけなのに」 「色々作ってくれてるじゃん。それに、初めて遊びに来るのに手ぶらじゃ失礼だろ」 「ありがとうございます。じゃ、遠慮なくいただきますね」  ちょっとぶっきらぼうな口調は颯斗が照れている時の癖だと、最近千尋にも分かってきた。素直にお礼を言って、風呂敷を解く。淡黄緑色の液体が入っている。果実酒だろうか? 「それ、柚子(ゆず)酒。千尋あんまりお酒強くないし、そういうの好きかなと思って」 「……好きです。颯斗さんって僕のこと何でも知ってるんですね。嬉しいです」  はにかんだ笑顔を向けると、颯斗がくすぐったそうに微笑んで、指先で千尋の頬を撫でた。猫を撫でるように。 「じゃあ、いただいたお酒を飲みながら、食べましょうか。……あ! 僕、家でお酒飲まないから、普通に食事にしちゃいました……。気が利かなくてすいません」 「お酒はオマケみたいなもんだから。ちゃんとした食事したほうがいいって、気を遣ってくれたんだろ? 嬉しいよ」  申し訳なさそうに眉を下げる千尋の肩を抱き、そのこめかみに口づける颯斗の声は甘い。恋人に愛されている実感で、千尋は幸せに頬を染める。 「じゃ、あの、支度しますね。座っててください」  小さなダイニングテーブルを手で示す。颯斗は、頷きながら千尋の部屋を見回している。彼がここに来るのは初めてだ。ベンチャー社長にとっては、貧乏学生の1DKなんて面白くもないだろうと思う。だが颯斗は、目ざとく「これ『ぼく伝』のキャラだよね」と窓際に置いていたフィギュアを見つけたり、「カーテンとかベッドカバーの色合いが、なんか千尋っぽい。ビビッドでもシックでもないところが、俺のイメージ通り」等と観察している。  作った料理を並べて声を掛けると、颯斗は、珍しい昆虫を見つけた少年のような表情を浮かべた。 「すごい……! ちゃんとした和食屋さんみたいなご飯だっ! やべえ。千尋お前、料理上手とか、どんだけ男心(わし)(づか)んだら気が済むんだよ」 「え、そんな大げさな……。そんなに難しい料理じゃないですよ?」 「でも、ちゃんと出汁取ってある。こんなにたくさん野菜作ってくれたのも、俺の身体のこととか気にしてくれたんでしょ? 根菜とか下ごしらえに手間かかるのに」  颯斗は、「いただきます」と言うや否や、ムギュっと千尋にキスをしてから箸を取った。どの料理にもいちいち感激して褒めてくれるのは気恥ずかしかったが、恋人が喜んでくれるのに越したことはない。  普段家でお酒を飲まない千尋の家には、お猪口(ちょこ)などの酒器はない。彼が持って来てくれた柚子酒は、小さめの普通のグラスに注いで氷を入れた。ちびちび飲んだつもりだが、緊張もあってか、食事が終わる頃には酔いが回っていた。 「千尋、その顔色だと、たぶん横になったほうがいいぞ」  颯斗が水を汲んだグラスを手渡してくれた。素直に水を飲み干し、言われるがままにベッドに横たわる。  ふと気が付くと、ダイニングのほうは暗くなっていた。 ベッドに横たわる自分に上掛けをかけ、颯斗は足元のほうに腰掛けてスマホを見ている。 「お、千尋、起きたか。二日酔いなってないか? 割とすぐ寝てたけど」  起き上がったが、特に頭痛や気持ち悪さはない。千尋はかぶりを振った。 「すいません、僕、寝ちゃって。今、何時ですか?」 「二十一時くらいかな」 「えーっ、そんなに!? ……ごめんなさい。そんなに長い間、颯斗さん、暇だったでしょ?」  ふふふと含み笑いして、彼は髪を撫でてくれた。 「全然。俺の恋人可愛いな~って、デレデレ見つめてた」  照れ臭くて口を尖らせる。颯斗は、目を細めて千尋を見ている。 「家に昆布と鰹節と味噌があるとかさ。ジェンダーで差別する気はないけど、今どき女子だって、こんなに自炊する子いないだろうに、男子学生だぜ? いい子だなあ、俺、これからもこの子が作ったもの食わせてもらえるのかなあ、ってしみじみ幸せ噛み締めてた」  颯斗はキッチンから再びグラスに水を注いで持って来てくれた。ぺこりと頭を下げ、飲み干す。 「昆布と鰹節は実家から母が送ってくれるんです。……せっかく遊びに来てくれたのに、お構いもせずにすみません」 「ん? 構ってくれるの? じゃあ、ベッドに入れて。エッチなことはしないから」  上掛けを持ち上げて彼を招き入れながら、千尋は頬を赤らめる。 「え、エッチなことって……」 「酔ってぐったりしてる若い子を襲うとか、犯罪っぽくない? 俺、そういう趣味はないんだよ。エロいのは好きだけど、人の道に反するのはちょっと」  そう言いながらベッドに入ってきた颯斗は、千尋を優しく抱きしめて横たえた。 「今日は千尋の部屋に入れてもらって、手料理食わせてもらっただけでお腹一杯。キュートな千尋を美味しく頂くのは、次の機会にしよう」 「僕、キュートなんですかね……? それに、美味しいのかな」  照れ隠しにブツブツと屁理屈をこねると、颯斗が、甘やかすように腕の中で千尋を揺すぶりながら囁いた。 「十五も年下の恋人だぞ? キュートに決まってるだろ。もう、剥きたての桃の果汁が(したた)り落ちる瑞々しさで、美味くて堪らねえよ」 「……颯斗さん。言い方がちょっとおっさんぽい……」 「年齢は最初から分かってたことなんで。そこはノークレームノーリターンでお願いします」  二人はくすくす笑みを交わし、軽く口づけ、仔犬のようにじゃれ合いながら、幸せな眠りに落ちた。            (ひとまず、おしまい) -------------------------- 【羽多より】 ピュアな千尋は、「食べさせて」と言われてもらった干物を「食べさせてあげなきゃ」と、きっと律儀に考えていたに違いありません。準備に夢中になり、ちょっとのお酒で寝てしまうほど一生懸命で健気な千尋が可愛くて、颯斗はきっとニヤニヤしていたと思います(◜◡◝)。おじさん発言は、照れ隠しでしょう。
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