あの日海岸で凍えながら語り合った君へ

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 バイトは、海沿いのレストランのウェイターと家庭教師をかけもちでしていた。  大学は名の通った私大だったが、高校は特進コースではあるものの学校自体は標準的な偏差値の私立だった。教えていた子は公立の進学校へ通っていて、志望校は難関国立大学だった。  頭の良さはもう追い越されていた。本来ならクビになりそうなものだが、親の知り合いの子供で小さい時から知っていたからか、中三から教えて三年目も続いていた。塾も行っていたから俺の役割は多感な時期の相談相手という感じだったのだろう。  とはいえ、全く勉強を見ないわけにはいかない。予習が必要なレベルになってくると、自腹で問題集を買っていた。高校の勉強をし直すことが、面倒くさい反面、過ぎたアオハルをなぞるような感覚が楽しくもあった。こうして思い返してみると、恥ずかしいくらい学生時代の俺はポジティブだった。
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