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「そう……ですか」
「あの……」
未だに事態は把握しきれない美奈代は、伺うように声をかけると、女性は、何も聞かず話してくれた。
「息子は、雨の日に、ここで事故に遭いました。私が少し迎えにくるのが遅くなったせいです。ここにスピードが出ている自転車が息子の方へ……」
少しづつ落ちていくトーンで、声を詰まらせた女性にかける言葉が見つからない。
「そう……だったんですか」
そう言うのが精一杯だった。
男の子の声も、手も、覚えているのに。
ちゃんと、ここにいたはずなのに。
本当に?
女性は咳払いをひとつしたあと、少しだけ笑って見せる。
「雨の日は、嫌いです。あの子を思い出してしまって、気づいたら、ここに来て泣いてしまうから」
女性の横顔と、電車の中で見た男の子の横顔が重なる。
似てると思った。
『雨、好き?』
そう言った男の子の顔が頭をよぎる。
「雨は、晴れの日より好きです」
美奈代が答えると、女性は首をかしげる。
「あ、えっと、信じてもらえないかもしれないけれど『雨、好き?』って聞かれたんです。さっき。私は、みんな同じように傘を差すから安心する、だから止まないでほしいって思ってるって答えました。でも、彼は、きっと、雨が好きだから、『雨、好き?』って聞いてくれたんじゃないかなって思います」
女性は、静かに美奈代の話に耳を傾ける。
「すみません、自分でもなにを言っているのかわかんないんですけれど」
女性は首を降る。
「いつもは一人で帰ってくる道なんです。塾が一つ向こうの駅にあって、今年から一人で電車でそこに向かって、帰りは一人で帰るって聞かなくて、いつも私は家の前で待っていました。でも、雨の日は、どうしても心配で、迎えに行くことにしていました。あの子は、子供扱いしないでって、言ってたんですけれど」
穏やかに、優しく、でも寂しそうで。
毎日がただ流れていく時間としてしか生きようとしなかった美奈代にとって、とても眩しくて、尊かった。
「迎えに来てくれるの、きっと嬉しかったんだろうな」
美奈代が独り言のようにつぶやくと、女性が花の方へかがみ、顔を覆う。
雨が降っているから、みんな、顔なんて気にしていない。
ここは濡れないけれど、美奈代は傘を差し、となりにかがんだ。
雨が小雨になってきた。
もうすぐ雨が上がる。
もし、次、あの子に『雨、好き?』と聞かれたら、『雨を楽しみにしている子を知っているから、好き』と答えよう。
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