春に触れる。

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「ユカコ、ユカコ」 何度も何度もじいちゃんはばあちゃんの名前を呼んだ。 思ってんけど、じいちゃんがばあちゃんの名前を呼んでいるとこを初めて見た。 いつもは「おい」とか「お前」とかって呼ぶからさ。 あと自分でもびっくりしてんけど、私この瞬間までばあちゃんの名前しらへんかったわ。じいちゃんの名前は今でもわからへん。 じいちゃん、ばあちゃん。っていう人間関係を区別するためだけの呼び名しかしらんかったわ。 ○とか△とか×みたいに、なんかそれってただの記号みたいやな。 「これで今日はなんか食え」ってじいちゃんは500円玉1つくれた。 じいちゃんは今日病室に泊まるらしい。 それはすごく愛を感じることやって、私はばあちゃんにちょっと嫉妬した。 多分やけど私が怪我して入院しても誰も病室になんて泊まってくれへんやろうし、なんならお見舞いすら来やんかも。 あ、もちろんじいちゃんが好きやからばあちゃんに嫉妬したんちゃうで。 愛を感じたから。やから嫉妬してん。 正直、愛なんてなくても生きていけるし、別にないもんにはなんとも思えへんけど。 けど、目の前でそれを見るとちょっと苦しくなるねん。 ほら、アイスの口じゃなくても目の前でガリガリ君かじってる人がおったら食べたくなるやろ。 そんな感じ。 じいちゃんとはその後一言も話すことなく、点滴を変えに来た看護師さんの声だけが沈黙を破った。 ぽたぽたと落ちる点滴は針を落としたみたいな音で、私はそれを不思議に思ってん。 もっと、イッキに体に入れた方がすぐ元気なるんちゃうかって、そう思ってん。 点滴の落ちる速度とか、病室の沈黙とか。全てが死に近い感じがしてなんだかここが私の居場所な気がしてきた。 けど、そんな自分がなんか怖なって昼過ぎには病室をあとにした。 ポケットには500円玉硬貨1つやから、小銭がぶつかり合う、チャリンチャリンって音は全く聞こえやんかった。 やからちょっと走った。
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